10月号
有馬温泉がスゴイ理由(ワケ)
【天下人、秀吉が愛した湯】
秀吉は天正11年(1583)から文禄3年(1594)まで9度有馬をたずね、お湯に浸かっています。秀吉は有馬で豪華な宴を開いたそうです。秀吉は関白となった天正13年(1585)には大茶会を開催、石田三成、大谷吉継などの近臣や千利休、今井宗久といった茶の湯の匠が参加しています。さらに天正18年、まさに天下統一を成し遂げたその直後にも、大茶会を開いて、小早川秀秋や千利休といった秀吉を支えた人物を招き、その労をねぎらいます。天下人となった秀吉は、万感の思いで湯を愉しんだのです。慶長元年(1596)に有馬は大地震により壊滅的な被害を受けます。その報を聞いた秀吉は、有馬の本格的な改修工事を命じ、それがその後の有馬の繁栄の礎となります。
【日本三名泉】
有馬温泉は古くから、良質な温泉として知られていました。平安時代の女流作家・清少納言は『枕草子』の中で、「ななくりの湯(現在の場所に諸説あり)」、「玉造の湯(島根)」とともに有馬の湯を評価。江戸時代の儒学者・林羅山は、「草津温泉(群馬)」「下呂温泉(岐阜)」とともに日本三名泉のひとつに選んでいます。有馬温泉は、環境省が療養泉として指定している9種の主成分のうち7種が混合した世界的にもまれな温泉で、古来より人々はその素晴らしさを感じ取っていたのでしょう。
【「金」「銀」2つの湯】
塩分と鉄分を多く含む赤湯は「金泉」と呼ばれています。海水よりも塩分濃度の高い湯が、肌を包むように薄い皮膜をつくり、温泉を出ても保湿効果が続きます。また、多く含まれるメタ珪酸という物質が肌触りを柔らかくします。刺激の強いお湯はややひりひりとしますが、高い殺菌作用があるため感染性皮膚疾患や慢性湿疹に効果があります。 一方、サラサラとした無色透明の湯を「銀泉」と呼びます。銀泉にはラドン泉と二酸化炭素泉の2つが存在します。ラドン泉は新陳代謝を促進し、血流が良くなり、自然治癒力が高まります。二酸化炭素泉は、飲むと炭酸の爽やかな喉ごしが楽しめ、気管支性喘息や軽度の末梢性動脈血行障害にも有効とされています。
【日本三古泉】
「道後温泉(愛媛)」・「白浜温泉(和歌山)」と並んで「日本三古泉」ともいわれる有馬温泉。神話によると、およそ3000年前、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が、カラスたちが水浴びをして傷を癒すのを見てその効能に気づいたのが、有馬温泉の、そして日本最古の温泉の発見と伝わります。一方正史では、『摂津国風土記』に有馬温泉の発見は蘇我馬子の時代とある。『日本書紀』においては舒明天皇が舒明3年(631)に、孝徳天皇が大化3年(647)に行幸し滞在しました。有馬温泉は、神話時代に遡る古い歴史があるのです。