11月号
ラグビーと神戸① 日本ラグビーの父、神戸に眠る
2019年9月に開幕するラグビーワールドカップ2019™日本大会に向けて、ラグビーと神戸のかかわりを紹介します。第1回目は、日本にラグビーを伝えたE・B・クラーク氏についてです。
2019年9月20日に開幕するラグビーワールドカップ2019™日本大会。国内12会場のひとつとして、神戸市立御崎公園球技場も選ばれている。実は、この神戸にラグビーを日本に伝えたエドワード・ブラムウェル・クラーク(Edward Bramwell Clarke、1874年-1934年)が眠っていることをご存知だろうか?
クラークは、イギリス人の両親のもと横浜で生まれた。父はパン屋を営むが、妻の死後に日本人女性と再婚した。その後、クラークはケンブリッジ大学コーパス・クリスティ・カレッジへ入学し、勉学はもとよりラグビーやクリケットなどの競技に打ち込んだ。
帰国後、慶應義塾大学の英語講師として働くことになる。明治32年(1899)、ある日の午後、塾生たちが退屈そうにしている姿を目にし、彼らにラグビーの面白さを教えることができれば、退屈せずに済むだろうと考えた。クラーク自身も日本語が流暢だったわけではなく、その時に友人の田中銀之助に協力を求めたところ、田中は快く引き受けてくれた。この時が、日本におけるラグビーの起源とされている。
その後、慶應義塾大学ラグビー部は、神戸の東遊園地でKR&ACと定期戦を行うなど、神戸とも少なからず縁がある。その後、クラークは旧制第三高等学校(現・京都大学)で教鞭をとることになるが、昭和9年(1934)にこの世を去る。生前、避暑地として有馬温泉に幾度となく訪れており、神戸は思い出深い地であったに違いない。
クラークの墓は、六甲山の再度公園内にある神戸市立外国人墓地に佇む。ウォルター・R・ランバス(関西学院創立者)やイライザ・タルカット(神戸女学院創立者)など、日本に大きな功績を残した外国人たちと共に静かに眠っている。クラークの墓石の傍らには、彼の功績を讃え、慶應義塾體育會蹴球部OB会「黒黄会」により顕彰碑が建てられている。
LAND ROVER Presents
ランドローバーは、3大会連続で日本開催ラグビーワールドカップ 2019TMもワールドワイド・パートナーとしてラグビーを草の根レベルから応援しております。