2013年
5月号

草葉達也の神戸物語

カテゴリ:文化人

ゲスト: 但馬 久美さん
(元宝塚歌劇団 花組組長)

 宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」が大ブームになった時、私はまだ小学生でした。
よく宝塚大劇場に行きましたが、その時のスターがリンちゃんの愛称で親しまれた但馬久美さん。憧れのスターさんの一人でしたので神戸にお住まいと知り、これはチャンスとお会いしてきました。

草葉「但馬さんは、お名前から察するに但馬地方の御出身でしょうか?」
但馬「父が豊岡の湯村温泉の出身で、仕事の関係で京都に転勤になって・・・ でも生まれは熊本ですよ。この話したら長くなりますよ(笑)」
草葉「(笑)では宝塚、神戸というのは?」
但馬「熊本で生まれたのですが、京都で育ち、明石で育って、神戸に来たのが小学校六年生の時です」
草葉「やはり神戸が一番長いということですか?」
但馬「そうです。一番多感な時期、中学・高校・宝塚時代は神戸にいました。三宮の繁華街のど真ん中で、父が林医院という病院をしていましたから。私はそこの娘で、学校は山手女子に行ってました」
草葉「その時代に宝塚歌劇と出会ったのですか?」
但馬「私は小学校の頃からクラッシックバレエをやってて、踊るのが好きでしたが、こんなに大きくなってしまって(笑)」
草葉「バレエは大きくなったらダメって言いますよね」
但馬「そうなんですよ。本当はバレエダンサーになりたかったけど、大きくなると相手役がいなくなって・・・ どこかでずっと踊れるところないかなぁと思っていたら、宝塚でも受けたらということになりました。結局バレエのように男性と踊るのではなく、男役になってしまいましたが(笑)」
草葉「(笑) そんな但馬さんが、神戸で一番の思い出の場所というとどこでしょうか?」
但馬「それはもう、なんと言ってもメリケン波止場ですね。「赤い靴・・」っていう歌があるでしょ? あの歌にあるような情緒とか外国へのロマン、海外に向かっているという夢がありましたね」
草葉「三宮からすぐで、今の雰囲気ではなくて海が近い感じでしたね」
但馬「そうなんですよ。それで石原裕次郎さんの『赤い波止場』とか、よく映画の撮影があって、私たちの時代はワクワクする場所でしたね」
草葉「外国に行く船が沢山あって、よく紙テープが出港の時の景色にありましたよね」
但馬「そうなんですよ!」
草葉「あとドラの音とか・・」
但馬「そうそう、ドラに汽笛ですね。もう何とも言えずゾクゾクしていましたね。あと思い出があるのは北野町ですね」
草葉「私も好きな場所ですが、昔とはだいぶん変わりました」
但馬「私たちの子どもの時は、北野に中国のお友達がたくさんいて、遊びに行くと窓からロマンチックな景色が広がっていて、いつも素敵ねって」
草葉「昔は外国の人が本当に多かったですよね?」
但馬「異人館も多かったですし、色んな国の方が歩いていて、それがまた神戸の雰囲気を作っていましたね」
草葉「宝塚時代は?」
但馬「宝塚の時は本当に忙しくて、お稽古、舞台、お稽古でしたから。でも神戸に住んでいたおかけで、海外に目を向けていましたね。まず憧れたのがニューヨーク、ロサンゼルス、カリフォルニア、そしてヨーロッパ。時間があったら海外に行っていました。ブロードウェーで勉強したり・・」
草葉「それはやはり周りに神戸という、外国文化の街があったからですね」
但馬「そうなんです」
草葉「神戸で色んな外国文化を見ていたから、本物の外国に憧れがあったのでしょうね」
但馬「本当にそうです」

久しぶりにお会いして、宝塚の現役時代と変わらぬ立ち姿に驚きました。さすがダンスの名手と呼ばれたリンちゃんでした。いやーカッコ良かったです!

但馬 久美(たじまくみ)

元宝塚歌劇団(星組副組長、花組組長を歴任)、元参議院議員。
熊本県熊本市生まれの神戸市育ち。後宝塚歌劇団50期生として1964年『花のふるさと物語』で初舞台。宝塚きっての名ダンサーとして『ベルサイユのバラ』アンドレ役、『風と共に去りぬ』アシュレ役などを務め宝塚の黄金時代を築く。退団後も、ステージや文化活動で活躍中。現在、長野県の「南箕輪村ふるさと大使」としても活動。

くさば たつや

神戸生まれ。作家、エッセイスト。
日本ペンクラブ会員、日本演劇学会会員
神戸芸術文化会議会員、大阪大学文学部研究科
阪南大学国際コミュニケーション学部非常勤講師
ひょうご老舗会実行委員長