9月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ⑯ 二人の女性
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
西宮市に「宮っ子」という地域情報誌がある。本誌「神戸っ子」と似た名前だ。「神戸っ子」は昭和36年創刊の、全国に先駆けてのタウン情報誌で歴史は古いが、「宮っ子」も昭和54年10月の創刊だから、もう40年近くになる。その初期のころよりわたしは編集委員をしている。まだ30歳代だった。
当初月刊だったが今は隔月で年六回の発行。そこでわたしは「わが町この人あり」というページを一月号を除き、年五回担当している。一ページ五段、約1600字の記事である。
このページは主に地域で老人会や婦人会のボランティア活動をしている人をインタビューして、その人の半生を簡略につづるもの。市井に暮らす無名人ではあるが、「ほほう、この人にそんな人生があったのか」というような話題を引き出し、読者に提供する。地域で知られた顔とはまた違った、思いがけない一面を知っていただく。それは、ご本人にとっても自分の歴史が残るということで喜ばれているのである。
今年の七月号に登場した人は「笑顔の人」と題して書いた長谷川小夜子さんという79歳の女性。
わたしの店「喫茶・輪」で約一時間半をかけてのインタビュー。
わたしは人選をしない。編集長からの依頼を受けて会うということで、初めてお話しすることが多い。でもこんなのはわたし得意なんです。すぐに打ち解けて頂いて取材が進みます。
その内容をここに書くのは使いまわしのような気がして本意ではないのだが、実はわたしもびっくりの展開があったので、すでに発行された記事の一部を引用します。
《爽やかな笑顔の人である。
生まれは鳥取県。独身時代は家内工業で因州和紙の製造に携わっておられた。書道や水墨画の画仙紙は日本一の生産量だというが、当時は障子紙などの生活用品で忙しかったとおっしゃる。
「二十歳前後の時でしたが、東京での物産展に紙漉きの実演に行きました。鳥取県の商工会議所からの要請でね。それがもう楽しくってね」思わず声が弾む。よほど楽しい思い出なのだろう。》
といった感じで、地域の人がそれまで知らなかったような話を掘り起こす。そして、旅行についての質問に答えての次の話。
《「主人の退職記念に東北へ行ったのがいい思い出です。十和田湖や奥入瀬を二泊三日で回りました。海外へもハワイなどに何回か行ってます。けど、ヨーロッパには行けてないんです。それで思い出すことがあります。主人は心筋梗塞で11年前に看病する間もなく急死したんですが、亡くなる一週間前に、「ヨーロッパへはいつ行くんや?」と言ってくれたのが忘れられません。気にしてくれていたんでしょうねえ」
仲良しご夫婦だったのだ。》
と、ここまでは特段珍しい話ではない。ところが、この長谷川さんに次いで、つい最近取材した人に近藤睦恵さんという女性がある。これは今の時点でまだ発行されていない九月号に掲載予定の原稿。
近藤さんは先の長谷川さんと同年齢の79歳。言葉づかいの美しい人だった。
《岡山県日高神社の神主の四女として生まれる。系図をたどれば足利尊氏に行き着くとのこと。由緒ある神社である。
学校を出て済生会岡山病院に看護師として勤務。ここで指導を受けて標準語が身についたとおっしゃる。》
その後、結婚してからも看護師を続け、ほぼ一生を看護師として生きてきた人である。
驚いたのはインタビューの中で出た「主人、16年前に急死したんです」という言葉。長谷川さんと同じではないか。わたしは原稿をつぎのように書いた。
《「入院して三週間目でした。あっけなかったです。わたしは他人の看護ばかりの人生でした。親の看護もできず、主人の看護も充分にはできずで。大きな悔いになりました」
ショックのあまり落ち込んでしまい、死を考えたこともあったとおっしゃる。》
偶然にも取材対象者が二人続いてご主人に急死された経験者だった。
どちらもその直後は、ショックのあまり茫然自失になっておられたのだが、ボランティア活動に活路を見出し、今は元気はつらつである。
女性はつくづくお強い。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。近著『触媒のうた』-宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。