10月号
企業経営をデザインする② 関西のお茶の間のお供「鶯ボール」の伝統と挑戦
植垣米菓株式会社 代表取締役 植垣 清貴さん
明治40年、神戸で創業した植垣米菓は、今年創業108年を迎える。看板商品は関西でおなじみの「鶯ボール」。変わらぬ味で愛され続けてきたが、今年3月にJR新大阪のエキマルシェに「鶯ボール」専門店を出店。洗練されたパッケージデザインの、手作りの「うぐいすボール」を販売し、好評を博している。
変わらぬ製法で受け継がれる名菓「鶯ボール」の味
―「鶯ボール」は、何年ごろに誕生したお菓子なのでしょうか。
植垣 創業当時から、あられ、おかきなどお米のお菓子を製造・販売していました。その前はカボチャの種、落花生、雑穀などを販売していたようです。
「鶯ボール」を作り始めたのは、1930年頃に僕の曾爺さんの知人が、独特な形になるのではないかと、アイディアを持ち込み、商品化としたと聞いています。製法は何も変わっていませんが、当時は手作りだったものが、今はほとんど機械化されています。
―製造工程に、独自の秘密などはありますか。
植垣 特に秘密はないです。というのも、「鶯ボール」は、40~50年前はたくさんのメーカーが作っていた定番のお菓子で、味つけなどは違ったのでしょうが、当時は結構作られていたようです。結果として、唯一残ったのが植垣米菓だけになったのは、うちだけが今も作り続けているから、という理由なんですよ。皆さんに愛されている定番商品ですからね。材料であるお米は時代によって替わっていますが、「鶯ボール」の独特な形、製法、レシピなど、そして成分、揚げ方も創業当時からほとんど変わっていません。
―先代から伝わる教えはあるのでしょうか。
植垣 先々代からの教えで、「でんぼ(おでき)と会社は大きくなったら潰れる」というのがあります。レシピ、製法だけではなく、商品のラインナップなど、先代までがやってきたことはほぼ変えず、守り抜いてきたからこそ、今があると思います。あまり商売を広げようとしないで、おかき、あられを主力商品として関西圏で商売することも、変えずにやってきました。
―逆に、変化してきたことはありますか。
植垣 先代の時代には、阪神淡路大震災があったので、工場を加古川に移したりと、大激変がありました。自分の代になってから、しばらくはそれを維持していくことだけで精一杯でしたが、やはりお客様とじかに接するお店を展開したいと、商品の直売を始めました。これは他社さんの成功事例を参考にさせていただいたのですが、「おかきを買う人の生の声を聞ける」場所が必要だと直売店を構えることにしました。現在は、かつて本社があった長田区西尻池町と、加古川に直売店『神戸みなとや』があります。商品はもちろんできたてで新鮮ですし、直営店だからこそのお値段で販売させていただいています。お客様に試作品をお配りし、評価をうかがったりもしています。
好調のエキマルシェ出店 新フレーバーでも人気
―JR新大阪の「エキマルシェ新大阪」にオープンした専門店についてお話しください。
植垣 JRさんからは、2年ほど前から出店依頼を受けていました。関西に根付いた企業の、関西にしかない製品を販売している企業さんを探していたようです。私どもとしても「鶯ボール」が持つ駄菓子のイメージから脱却したいという思いもありましたので、従来の鶯ボールのデザインを一新し、洗練されたパッケージで、すべて手作りで作った新生の「うぐいすボール」を考案することになりました。このあたりのことは、専務の植垣智博が担当しました。私としては、出店に関する“リスク”をまず第一に考え、具体的な売り上げ目標を設定し、その売上が少しでも落ちたらすぐに撤退するという、撤退戦略ありきで出店を決めました。リスクを考えて運営は自社ではやらず、店長は植垣米菓から派遣していますが、運営は外部に任せています。結果は予想外に好調でした。
―好調の理由は何かあるのでしょうか。
植垣 やはりデザインが良かったのが一因だと思います。デザインは社外のデザイナーさんへお願いし、「本当に美味しい米菓を食べたい人に本物を食べていただきたい」という植垣米菓の思いとお米をコンセプトとしてデザインし、“和モダン”のデザインになりました。新デザインの「うぐいすボール」が好評なおかげで、本家の「鶯ボール」の売り上げも上がっています。
―エキマルシェで限定販売している「宇治の抹茶」「淡路のロースト玉ねぎ」といった新フレーバーも人気だそうですね。
植垣 フレーバーづくりはすべて自社でやっています。9月15日からは、期間限定のフレーバー「ほうじ茶味」が発売されるほか、好評だった「ゆず味」も復活します。さらに冬には、チョコレートがけの鶯ボールも発売予定です。
産地、材料にこだわり未来のための社会貢献を
―新商品や新しい展開などのご計画はありますか。
植垣 現在、有機認証のあられ、おかきを積極的に販売しています。有機農法で作られたお米を使い、添加物や化学調味料を使わない商品です。といっても有機認証のお菓子は国内ではほとんど売れず、むしろアメリカ、ヨーロッパ向けの輸出が多いのが現状です。日本では、自分自身の安全安心のための有機食品というイメージですが、アメリカ、ヨーロッパでは、社会貢献ととらえられ売られています。化学肥料を使わないということは、地球にダメージを与えないためであり、農薬を使わないのは、農家の方の健康を守るためです。化学的な添加物は、即座には体に害を及ぼしませんが、母体を通じて蓄積されていくと言われていますから、何代も先の自分の子孫に健康でいてほしいから有機認証製品を選ぶ、というのが彼らの考えなのです。
―今後の夢、未来の展望などをお願いします。
植垣 もっと兵庫県産の原材料を取り入れていきたいですね。全てが兵庫県産で揃えるのは無理だったとしても、せめて日本産のものを使いたいです。前述の有機農法のお米などは、今は手に入れるのがとても難しいのですが、我々が購入すれば、生産農家ももっと増えるのではないかと思います。
現在、日本の食料自給率は40%、兵庫県の食料自給率は16%と低迷しています。それにもかかわらず、就農者の平均年齢は60歳後半です。このままでは数十年後の日本に食べるものがなくなるのではないかと心配しています。だからこそ、できる限り日本の農水産物を買う姿勢を取っていきたい。そして、日本の食料の安全保障に貢献していきたいと思っています。利益の追求ではなく、あられ、おかきを作っていくことこそが、社会貢献でありたいのです。50年後、100年後を見据えた食品を提供していきたいと思っています。
植垣 清貴(うえがき きよたか)
植垣米菓株式会社 代表取締役社長
1959年神戸生まれ。甲南大学卒業後、外資系商社に入社。その後経営コンサルティング会社を経て植垣米菓株式会社へ入社。1990年専務取締役、2003年代表取締役に就任。現在に至る。
植垣米菓株式会社
本社 加古川市平岡町高畑520-10
TEL.079-424-5445
http://www.uegaki-beika.co.jp/