10月号
連載コラム 「第二のプレイボール」Vol.8
文・写真/岡力<コラムニスト>
引退後にさまざまな世界で活躍している元プロ野球選手が経営する、阪神間の店舗・施設等をご紹介します。
Vol.8 「地元一筋で戦い続ける虎戦士 安達智次郎さん」
夜が更けると多くの人でにぎわう生田東門商店街、通称「東門街」。多くの飲食店が軒を連ねる一角に神戸で生まれ育った元プロ野球選手のお店がある。
安達智次郎(- ともじろう)さんは、神戸市長田区の出身。幼稚園に入った頃、小児がんを患い手術を行う。小学3年になり晴れて運動が許されソフトボールをはじめる。翌年には野球と出会う。中学に進学すると隣町の野球クラブに所属。全国大会で活躍し多くの高校から推薦の声がかかる。最終的に父親の勧めで自宅から通学できる神戸村野工業高等学校を選択。ちなみに同校の部長は、中学時代にファーストを守っていた安達さんのピッチャーへ投げる返球を見て才能に惚れ込みラブコールを送っていた。「グランドは、デコボコ…走る場所がやたらあった」と振り返る環境だったが結果的に基礎体力がついた。当時、兵庫県下の強豪高校とは、練習試合もしてもらえない状況だった。しかしチームメイトにも恵まれ2年の夏、3年の春にエースとして甲子園へ出場。プロのスカウトが注目する存在になっていた。迎えたドラフト会議。事前に巨人から1位で指名したいと意向が伝えられていたが直前になり状況が変わる・・・巨人が松井秀喜を指名。4球団競合の末、長嶋茂雄監督がくじを引き当てる。その結果、阪神にドラフト1位で入団する事となった。在籍中には、スキルを磨くため渡米し野球漬けの日々を過ごした。しかし、構想やタイミングに阻まれ登板の機会に恵まれず99年に引退する。その後、バッティング投手を経て独立。ブーム到来前だった焼酎の魅力に惹かれていく。銘柄を覚えるために酒屋でのアルバイトも経験。2003年に地元神戸でBARを開業した。「阪神というチームは、虎のように堂々と戦わずイタチのように引っかいて逃げるような野球をする。そこが魅力でもある」と愛情たっぷりに語る安達さん。ムードある雰囲気の店内には、縦縞のユニホームが掛けられている。
■Rocket Ball
神戸市中央区中山手通1丁目17-6
北野フェニックス 3階
20時~夜中 不定休