4月号
神戸で始まって 神戸で終る ㊲
僕は病院が好きだ、と言うと皆な変な顔をするのは、病院の嫌な人が大半だからだろう。こんな僕の習癖を展覧会のテーマに出さないか、と学芸員の林優さんが考えた。
「観念的な思考や言葉より肉体を通して認識を重視する」という僕には病院展がふさわしい。豊富な病歴をもち、自他共に認める“病院好き”の僕に因んで、林さんは、美術館を病院に見立てる演出で「兵庫県立横尾救急病院」展を企画した。
美術館を病院に見立てるために、小児科、外科、眼科、皮膚科、耳鼻咽喉科、入院病棟、老年病科、スポーツ外来を設定。
作品解説をカルテに模し、受付監視スタッフに白衣を着用させ、来場者には鑑賞チケットに代えて診察券を発行、さらに会場内の各所に病院施設で実際に使用されていたベッドや点滴台、外来案内板や待合椅子などの物品を設置することで、美術館空間を病院にハイジャックしてしまった。
この病院展を企画した段階ではコロナは発生していなかったが、オープニング前日に、国際的に懸念される緊急事態が発生したとWHOが発表して、世界が騒然となったのは周知の如く。だからこの段階では、マスクをつけている人は日本中でごくわずか。だけどこの展覧会のオープニングの来客者200人ばかりの人全員にマスクを配布して、マスクを装着してもらうという、参加型パフォーマンスを行った。
200人全員がマスクを装着して椅子に座っている光景は、異常としか言いようがなかったが、その後、日本中だけでなく世界中がマスク装着の人たちによって日常が一変してしまった。そういう意味でもこの光景は歴史的であったといえよう。芸術は、現実で発生されるものであるが、その創造のインスピレーションはすでに未来で出来上がっているもので、それが芸術家のイマジネーションを通して現実に移送再現されるものである。
ここに掲載した写真にはマスクに笑った口を描いているが、この創作マスクは1970年にすでに創作していたもののコピーである(このエッセイのタイトルのポートレイトを参照)。そういう意味で、マスクに絵を描いたのも、コロナ禍以前、50年前ということになる。これも未来を先取りした結果と言えるのかもしれない。
そして本展の「兵庫県立横尾救急病院」展はコロナ禍のあおりを食って、一種の社会的現象へと大きな影響を与えた。
さらに僕は、いち早くマスクに絵を描くことによって、今まで誰も発想しなかった新しいメディアを提案することになった。このマスクアートをなんとか社会的現象として一般大衆に認識させるために、SNSによって1000点を超えるマスクアートを「WITH CORONA」として世界に公表することにした。
後に小池都知事が「WITH CORONA」を提唱することになるが、僕はその2週間前にすでにSNSによって、「WITH CORONA」を流通させていた。
その後、マスクを中止する希望的観測をかねて「WITHOUT CORONA」と「WITH CORONA」を改訂し、現在はこのプロジェクトは終了している。
この展覧会が企画され、開催されることになった当初は、誰もコロナの到来を考えていなかっただけに、このタイムリーな病院展は、本当に時代を先取りした、横尾忠則現代美術館の中でも特筆すべき展覧会になった。コロナ禍の影響で、途中、展覧会自体を中止する事態に遭遇することになったが、その後、会期を延長して再開することになった。
美術展がこのような社会的現象によって左右されてしまうのは残念ではあるが、それだけに記憶に残る展覧会として、いつまでも語り草になるのではないだろうか?
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰、日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。横尾忠則現代美術館にて「満満腹腹満腹」展開催中(~5月7日)
横尾忠則現代美術館
https://ytmoca.jp/