2月号
水木しげる生誕100周年記念 知られざる 水木しげる|vol.5
『新講談・宮本武蔵』に見る 絶妙の描写
水木マンガの魅力は、セリフやストーリーの妙だけではない。ト書きにも味わいの深いものが多い。
『新講談・宮本武蔵』と題されたシリーズのうち、「闘牛」と題された「宮本武蔵・巌流島の一席」には、文筆のプロも舌を巻く絶妙のト書き=描写に満ちている。
話は武蔵に小次郎からの果たし状が届くところからはじまる。
すでに小倉で高禄をはみ、けっこうな暮らしをしている小次郎が、試合を申し込んでくるのは、有名な自分に勝って、世間の人気を得ようとしているからだと、武蔵は見抜く。
ト書きにはこう書かれる。
『おそらく小次郎の気持ちは、満ち足りた人間が勲章をほしがる気持ちと似かよったものであったのだろう』
武蔵は『「剣豪」というカンバンをおろすわけにもいかず』、小次郎の申し出を受け入れ、堺の港から出発する。多くの弟子たちが見送りに来て、「先生、おすこやかに」などと言うが、彼らを『なにか勘違いをしている人々』と評したあとで、ト書きはこう続く。
『それは肩書きのたくさんついている名刺をみてびっくりする善良な市民の気持ちに似ていた……』
武蔵は弟子たちに「うむ」と応えながらも、内心で彼らの剣の道に対する思いを否定する。
『しょせん、剣とは人を殺すだけのものであり、その外のリクツは大道で野師(ママ)が下らぬ品物を口先一つで高く売りつけるのと同じく、人を勘違いさせるものにすぎないのだ』
実際の武蔵がそう思ったかどうかは別にして、ここには水木サンのヒリヒリするようなリアリズムとニヒリズムが息づいている。
いざ、巌流島に到着すると、そこには『スペインの闘牛士のように派手に着飾った小次郎』が待っている。鉢巻に派手な柄の陣羽織をつけ、胸にはバラリボンまでつけて、もてはやされたい気持ちが全開の小次郎が描かれる。
それを見た武蔵は、『その小次郎の不真面目な人生観にはげしい怒りをおぼえ、思わず侮蔑の一言が口をついて出た』とあり、有名な「お前の負けだーっ」が発せられる。
闘いは小次郎の突進と、武蔵の櫂の一撃で、小次郎が「モーッ」と闘牛の牛のごとく砂に突っ伏して、あっけなく終る。
そこで小次郎の描写。
『小次郎は、子供がクリスマスケーキを食いそこねたような顔をして死んでいた』
どうやったらこんなユニークかつリアルな比喩が思いつけるのか。文章を専門とする小説家でも、ここまで実感のある表現は簡単にはものせないであろう。
さらに決闘を見物していた殿様と家老は、『強い「番犬」をほしがるような顔をして武蔵にみとれていた』と書かれ、その他の見物人たちは、『その目つきは、ショウをたのしむアメリカ人の目つきだった』と書かれる。
いずれの描写も、たくまざるユーモアとシュールなリアリズムを兼ね備えた絶妙の比喩である。ほんの13ページの短編一作にして、これだけ感心させられるのだから、水木マンガの奥深さは、実にただ事ではないとしか言いようがない。
同じシリーズの「剣豪とぼたもち」では、茶店で注文したぼたもちが、自分より先に雲助に出されたことでムカついた武蔵が、そんなことで雲助と争っては剣豪の品位を傷つけると自制したあと、こう独白する。
『俺はむしろ品位という名の下に、人を軽蔑する快感にひたるくせがあった』
これなども、上品ぶっている似非セレブに、ぜひとも聞かせてやりたいト書きだ。品位は大事だが、たしかにその裏には品位のない人への軽蔑が潜んでいる。自戒を込めてそう思う。
久坂部 羊 (くさかべ よう)
1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部付属病院にて外科および麻酔科を研修。その後、大阪府立成人病センターで麻酔科、神戸掖済会病院で一般外科、在外公館で医務官として勤務。同人誌「VIKING」での活動を経て、『廃用身』(2003年)で作家デビュー。