12月号
水木しげる生誕100周年記念 知られざる 水木しげる|vol.3
短編が描き出す人生の真実
水木しげると言えば妖怪ばかりが注目されるが、私はそれが歯がゆくてならない。水木マンガの真骨頂は、ねずみ男がメインキャラクターを務める数々の短編にあると思っているからだ。
たとえば「錬金術」という作品では、ねずみ男は「丹角先生」と称して、ある一家に錬金術を指南する。
一家はその怪しげな指導に従い、必死に金を作り出そうとするが、一向に成功しない。ついには家が爆発し、見かねた息子が「これ以上、両親をまどわさないでください」と頼みにいくと、丹角先生ことねずみ男はこう言うのである。
「お前たちが幸福になったのは、錬金術をはじめたからじゃないか」
だけどいつまでたっても金は出ないと息子が苦情を言うと、ねずみ男はこう返す。
「錬金術は金を得ることではなく、そのことによって金では得られない希望を得ることにあるんだ」
そして、次のコマでは目だけの度アップで、「人生はそれでいいんだ」と断言する。その迫力、その真実。
水木サンは、人は幸福を求めて努力しているうちが幸福なんだと、冷徹に見抜いているのである。
「心配屋」という作品では、製薬会社の社長が、ぐうたらな息子を非凡にするため、ねずみ男扮する「心配屋」に頼んで、息子に「妖怪バリバリ」を注入してもらう。非凡な研究者になった息子は、人類の病気をすべてなくす「究極薬品」を作ろうとする。すると、驚いた父親はこう言う。
「そんなものを発明したら、日本の製薬業界は全滅するじゃないか。きかない薬を作るのが、我々の崇高な使命なんだ」
製薬会社の人は怒るかもしれないが、これはある種の真実である。医者だって病気がなくなると困るのだ。
ねずみ男が登場する作品以外にも、水木マンガには人生や社会の真実をうがつ「冴えてる一言」が満ち溢れている。
たとえば「街の詩人たち」という作品では、小狡い食わせ物の自称詩人が、こううそぶく。
「詩と称してウドンのような字を書いてれば世間は通るんだ」
書道展などではたしかに「ウドンのような字」にお目にかかるし(書道家のみなさん、ゴメンナサイ)、いわゆる高尚な芸術は、一般市民には理解しがたいものが少なくない。
「偶然の神秘」では、水木サン自身が作中に登場し、赤穂浪士は切腹させられても、名前を残して満足かもしれないがと前置きして、こうつぶやく。
「名前なんて一万年もすれば、だいたい消えてしまうものだ」
私は高校生のころ、この一文に出会い、有名になることへの憧れが一気に霧散した。たしかに一万年前の人間で、名前を残している者はいない。有名になろうが、無名でいようが、すべては消えてなくなると腑に落ちて、気持ちが楽になった。
「幸福の甘き香り」では、高級役人の侍が、将来の幸福のため、ガリ勉して昌平黌(大学)に入り、友だちの遊興にも付き合わず貯金をし、妻も「家具と同様、幸福になるため必要」として娶り、子どもも「ペットと同じく幸福に必要」としてかわいがり、老後を幸せにするために息子を大学にやり、ついに寿命が尽きたとき、死の床で「わしは少しも幸福でなかった」ともらす。すると妻がこう言う。
「あなたは幸福の準備だけなさったのヨ」
こんな皮肉で痛烈な真実のヒトコトが、水木マンガには満ちあふれているのである。
「冴えてる一言」
~水木しげるマンガの深淵をのぞくと「生きること」がラクになる~
定価:1,980円(税込み)
光文社
久坂部 羊 (くさかべ よう)
1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部付属病院にて外科および麻酔科を研修。その後、大阪府立成人病センターで麻酔科、神戸掖済会病院で一般外科、在外公館で医務官として勤務。同人誌「VIKING」での活動を経て、『廃用身』(2003年)で作家デビュー。