2022年
12月号

映画をかんがえる | vol.21 | 井筒 和幸

カテゴリ:文化・芸術・音楽, 文化人

1983年の4月、千葉の浦安にお伽の国、ディズニーランドが開園した。ネズミのアイドルとシンデレラ城に人が押し寄せた。一週間働いた分のストレスを晴らす、映画館の続きの場所だと評論家が本に書いていた。夏には、『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐』なんてお伽話もあった。「フォースは徳を積んだ奴が出す念力というこっちゃ」と大阪の友人が呑み屋でうそぶいていた。ボクはルーカスが空想する銀河帝国の話には気がいかず、暗黒卿ダース・ベイダーが主人公の青年の父親だったぐらいではいい酒は飲めなかった。物語が古臭く、画面も劇画タッチだったからだ。8月には独裁政権下のマニラ空港でアキノ元議員が暗殺され、翌月にはソ連軍戦闘機が大韓航空機を撃墜してしまう事件もあったが、日本は能天気だった。越冬隊が犬のタロとジロに再会する『南極物語』が大ヒット、元日活スターの宍戸錠さんはテレビの『くいしん坊!万才』で呑気に食べ歩いていた。
ボクの方は大変だった。先輩プロデューサーの下で撮った人気漫画の実写版『みゆき』が、9月に別のアニメと併映で封切られ、十代二十代のコアなファンで劇場は賑わっていたが、ボクは観に行く勇気はなかった。それより何より、自分ではピンとこない異世界を描かなければならない重圧感で、夏のクランクイン前に、医大病院の精神科で「これは離人症という立派な病で、まあ仕事が原因だから撮影仕事は一切止めてのんびりしなさい」と診断されて以来、仕上げ終了の日まで続いた躁うつの繰り返しや頭痛が、作業が終わるや嘘のように吹き飛んで体も軽くなり、みごとに現実に戻れたのが嬉しかった。七転八倒の現場だった自作など観に行けばまた病を引き起こしそうだし、二度とその手の企画には関わるまいと思った。でも、こんな試練も映画人には必要かと思い直すと、人生が一歩前進した気がした。
気が晴れて心に余裕も出て、見逃していた西ドイツ映画『フィツカラルド』(83年)を観た。これこそ、どれほど過酷な撮影現場だったか想像もつかない、途方もない力作だった。奇人の中年男がオペラに心酔し、ジャングルの奥地にオペラハウスを建てようとする。船を買い、川をさかのぼるのだが、途中の激流で進めなくなり、遂に船を川から陸に揚げてインディオ達に手伝わせて船をロープで曳いて山越えさせる話だ。お伽話もここまで酷なものは初めてだった。映画館でしか観られない迫力。人は何をするために生きてるんだろう。何が人の心を解放するんだろう。これは誰の見た夢だろう。哲学に耽りながら、夜の渋谷の街頭に出ると、ごった返す人波は夢のようで、さっきまでいた銀幕の世界の方がボクには現実に思えた。
『ディーバ』(83年)というフランス映画を観終わったばかりの仲のいい先輩監督が、ボクがいる呑み屋に電話をしてきて、いきなり、「映画観て気分がいいし、飲み直さないか?」と誘ってきた。ボクは『ブルース・ブラザース』(81年)でファンになったジョン・ランディス監督の『大逆転』(83年)を観た後、仲間と「ロッキード事件で田中角栄も実刑判決だし、衆議院も解散だろ」なんて言いながら、離人症など誰のことかとワイワイやってる時だった。その東北育ちの先輩が「ツブ貝の美味い処を探そう」と言う。大阪ミナミで安酒しか呑まなかった者はツブ貝など無縁だったので、「よっしゃ、ならば皆でそのツブ貝を東京を横断して探し歩こうやないの。美味いのに出会うまで、朝まで行くで!」と先輩をけしかけた。有楽町の居酒屋から始めて、「ここのは冷凍モノだな」と席を立っては歩いて、また次の店で食べ、飯田橋、四谷、新宿と、格別のツブ貝を探すテーマで飲み歩いた。格別の映画たちを肴にしながら。
書き忘れるところだった。先輩が観た『ディーバ』はソプラノ女性歌手とファンの郵便配達夫のポップで粋なミステリー。『大逆転』は金持ちの先物相場師と路上暮らしの黒人青年の互いの人生が入れ替わる、資本主義をおちょくったコメディ。映画だけで酒がすすむ時代だったな。

PROFILE

井筒 和幸

1952年奈良県生まれ。奈良県奈良高等学校在学中から映画製作を開始。8mm映画『オレたちに明日はない』、卒業後に16mm映画『戦争を知らんガキ』を製作。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『宇宙の法則』『突然炎のごとく』『岸和田少年愚連隊』『のど自慢』『ゲロッパ!』『パッチギ!』など、様々な社会派エンターテイメント作品を作り続けている。映画『無頼』セルDVD発売中。

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