11月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㉛前編 横山光輝
横山光輝
神戸で甦った鉄人…66年経っても色褪せないメッセージ
漫画の神様に憧れて…
神戸から震災復興の祈りと地元地域の活性化への願いを込めて…。今から13年前。2009年、神戸市長田区の若松公園に全長約18メートル、総重量約50トンの「鉄人28号」のモニュメントが建立された。その臨場感あふれる巨大ロボットの〝出現〟は、往年のアニメファンたちの心を沸き立たせた。漫画家、横山光輝(1934~2004年)が、少年漫画雑誌に新連載漫画「鉄人28号」を1956年に初めて発表してから半世紀が過ぎていた…。
先月号の「物語が始まる」で紹介したロボット・エンジニア、吉崎航さんは、横浜市で建造された「機動戦士ガンダム」の全長約18メートルの実物大ガンダムを動かすプロジェクトを実現させ、国内外のアニメファンを驚かせた。
だが、横山が生み出した鉄人28号が、このガンダムやマジンガーZ、超時空要塞マクロスなど、その後、巨大ロボットが活躍する漫画やアニメに多大な影響を与えたことを、現代の漫画ファン、アニメファンは知っているだろうか?
横山は1934年、神戸市須磨区に生まれた。地元中学校に進んだ頃から漫画を描き始め、「プロの漫画家になりたい」と、のめり込んだきっかけは、横山の故郷に近い宝塚で育った手塚治虫の存在だった。
手塚の傑作「メトロポリス」を読んで衝撃を受けた横山は漫画に魅了され、神戸市立須磨高校へ進学すると、「漫画少年」「探検王」などの漫画誌に自作を投稿し始める。すでに在学中に複数の漫画誌に彼の作品が掲載されていたという。
高校卒業後は、神戸銀行(現三井住友銀行)に就職するも、すぐに辞め、職を転々とする。
だが、その間も漫画を描き続けていた。そして1955年、「音無しの剣」でプロの漫画家としてデビューを果たす。
デビュー前の横山は、出版社の社長を介し、憧れの手塚と東京で会っている。
このとき、横山の漫画原稿を見た手塚は「売れる漫画家になる」と語ったという。横山は神様のような存在だった手塚のこの言葉に自信を持ち、その直後、プロデビューするが、このときも手塚は、「彼ほど『彗星のように』という形容のあてはまる男はいない」と横山の作品を絶賛し、デビューを喜んだという。
デビュー翌年、雑誌「少年」で連載された「鉄人28号」は、同誌で連載されていた手塚の「鉄腕アトム」と人気を二分する。
手塚に憧れ、神戸から上京し、手塚作品のアシスタントも務めた後輩が、デビュー直後に、大先輩である漫画の神様とともに日本を代表する漫画家へと上り詰めていく。
手塚は、若き横山と出会った瞬間に、その可能性を確信していたのだろう。
少年少女の心を鼓舞
横山は「鉄人28号」で日本中の少年たちの心を鼓舞したが、一方で、日本中の少女の心も魅了していく。
1966年7月、少女漫画雑誌「りぼん」で連載をスタートした「魔法使いサリー」(連載開始当初のタイトルは「魔法使いサニー」)だ。
日本初の少女向けテレビアニメとして同年12月から放送を開始。これが先駆けとなり、その後、「ひみつのアッコちゃん」(赤塚不二夫原作)や「さるとびエッちゃん」(石ノ森章太郎原作)など東映の〝魔女っ子シリーズ〟へとつながっていく。
「鉄人28号」がロボットアニメのブームの先駆けとなり、片や「魔法使いサリー」が、魔女っ子ブームを巻き起こす。
横山は漫画やアニメにおける未開のジャンルを次々と掘り起こし、切り開いていくパイオニア(開拓者)だった。
彼は少年少女たちの人生を変えるような漫画の新作を次々と発表していくが、生きる指針を与えられたのは子供たちだけではなかった。
「三国志」や「史記」など中国の歴史をテーマにした壮大な長編大作にも挑み、若者や大人向けの「列伝」というジャンルも開拓していく。
彼は漫画やアニメの可能性を信じ、常識やその概念を打ち破っていく時代のチャレンジャー(挑戦者)でもあった。
鉄人28号が誕生し、今年で66年。
世界に開かれた神戸の海を彷彿とさせるダークブルーの鋼鉄の雄姿は今も健在。〝神戸の守り神〟として力強く踏ん張り続けている。
=続く
(戸津井康之)