8月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から51 郵便函に
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
この号が出るころにはどうなっているかわからないが、今年はコロナコロナで半年過ぎた。
わたしには五人の孫があり、そのうち三人は大阪に住む。何が辛いといって孫に会えないのは精神的に応える。チャットなどで交流はできるが、やはり物足りない。
わたしが住む西宮市と大阪市はほぼ隣同士である。阪神間という一つの文化である。ところが春に緊急事態宣言が出てからは「府県をまたいでの交流は自粛を」とのことで会えなくなってしまった。それまでは三日にあげず会っていたのに。兵庫と大阪は、近くて遠い地となってしまったのである。
そこで一案。
孫たちに手紙を出してみることにした。ちょっとした質問を添えて。すると返事がきた。期待した通りだ。わたしはいそいそと返事を書いた。するとまた折り返し返事が届いた。そんなことを何度かするうちに、その後も続いたのは大阪の小六の咲友だった。かわいい便箋で、家での勉強の様子や飼い犬のジャックのことや、お兄ちゃんや弟のことなど、家族の様子を生き生きと書いてきてくれる。そして結びは必ず「コロナに気をつけてね」だ。
そんな文通の中で思い出したことがある。
私の好きな作家、出久根達郎さんの『残りのひとくち』(中央公論社)という本の中の「切手の値打ち」というエッセイである。
「切手が、大好きである。」と始まる。
出久根さんとわたしは同世代だ。子どものころの趣味も同じ。江戸川乱歩に惹かれたのも、カバヤキャラメルで景品の本を集めたのも一緒。学歴がなくて、それを苦にしないのまで似ているのだが、その後の文学での実績は月とスッポン。出久根さんは直木賞を受けた一流作家。比してわたしは、と、わたしのことは言わないでおこう。
エッセイは、中学生時代の甘酸っぱい文通のことから切手の話へ。
《さて私の切手熱は、以来ずっと切れることなく来た。ある時、紙袋いっぱいの大量のコレクションをながめながら、ずいぶん金をつぎこんだものだ、とあきれる思いだった。
切手商に売り払ったら、何十万円かになるかも知れぬ、と考えた。紙袋にS子さんからもらった例の切手も入っている。実に四十年も昔の切手である。
私は切手商に持ち込んだ。主人はひと目にらむなり、これは自分で使った方が得ですよ、と言った。売っても額面以下にしかならない。額面の三分の一になるかどうかである。》
ここを読んでわたしは「え?そうなのか」と思った。
実はわたしも出久根さんと同じように昔、切手収集に熱中していた時期があり、きれいな切手がいっぱいある。自分では値打ちが相当上がっているだろうと思っていた。ところが額面割れだなんて。
《かくて私はせっせと使うことにした。自分で使う分には、額面のままである。ただし昔の切手は五円、十円、十五円などという少額なので、何枚も封筒に貼らなければならない。》
わたしも出久根さんに習うことにした。咲友への手紙に古い切手をいっぱい貼って出すことにしたのである。また他の人への手紙にも。
出久根さんのエッセイはこう続く。
《宛名を書いてから貼ると、貼りきれないので、まず切手を貼ってから、その余白に相手の住所氏名を記すことにした。見た目に大変豪勢な手紙である。十円の記念切手が、色とりどり、上から下まで貼ってある。
受け取った者は大抵、目を丸くするのである。得したような気分である、などというお世辞に気をよくして、私はせっせと貼った。》
わたしも同じである。咲友からの返事にこうある。
「古い切手が今のと違い、見ているだけで楽しいです。」
そして、最近届いた手紙には、
「わたしは手紙が好きになりました。」
わたしは今日も、ピンクのかわいい手紙が郵便受けに届くのを待っている。
そこで「喫茶・輪」に飾ってある杉山氏自筆の詩。
トンネルは抜けるもの
待つものは来るのだ
来たのかもしれない
郵便函にポトリと
音がする
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。