7月号
触媒のうた 5
出石アカル
題字 ・ 六車明峰
掲載の写真を見て下さい。
詩集『象形文字』(中野繁雄・神戸在住)です。
この装丁、だれかお分かりだろうか。驚くなかれ、国際的板画家、棟方志功。〈志功は版画ではなく板画と書いた。〉
「この詩集の中に剽窃があります」と宮翁さん。
わたし、「えっ!まさか?」
で手渡されたのが、『福田米三郎全集』だった。
「この中に、中野が剽窃した歌があります」と。
両方読みました。見つかりません。根気よく、何度も探しました。ありました。
『象形文字』の中の「火葬場のこほろぎが啼いている」と題された次の詩。
やがて真空に溶解する分秒の刻が
質屋の蔵中で畳まれた
妻の喪服の皺を伸すだろう
から
から
と
野晒しの白骨が鳴り
僕
の
枯れた
指
を
風が越えて行つた
胸
と
肩
の
(以下略)
中野繁雄、病中の作である。いい詩だと思う。
そして、『福田米三郎全集』の「指と天然」の中にある次の歌。
―からからと野晒しの白骨がなり 僕の枯れた指を 風が越えていつた―
まるで一緒だ。この歌を極端な行変え詩にしただけ。
ここでちょっと注釈。福田米三郎の歌は自由律短歌である。普通の五七五七七ではない。自由律短歌は、大正末期に前田夕暮や石原純らが提唱して始まった。因みに石原は物理学者としてアインシュタインを日本へ招いたりして高名だった人。
さて、『象形文字』は昭和三十年発行。『福田米三郎全集』は昭和五十五年発行。あれっ?それなら福田が中野の詩を剽窃?ではなかった。福田は昭和二十一年に亡くなっている。『福田米三郎全集』は追悼発行なのだ。この「からからと…」の歌は昭和十七年、新日本短歌社から発行された『指と天然』に掲載されたもの。
中野繁雄は、兵庫県洲本生れ。小説『暗い驟雨』で芥川賞候補になったことがある作家である。『暗い驟雨』の主人公は詩村映二だという。詩村(本名織田重兵衛)は明治三十三年加古川郡寺町生まれ。「驢馬」(㊟堀辰雄、中野重治らの「驢馬」とは別)編集発行人で、詩人であり古書店主だった人だが、神戸、大阪などで活弁士としても活躍していたと。
しかしこの小説は、選考委員の一人、丹羽文雄が「小編的なものである。不満の出るのも、結局この小説が小編的であることによる。」と評したように評価は低く、受賞は石原慎太郎の『太陽の季節』に。昭和三十年のことだ。ほぼ同じ頃に詩集『象形文字』は出ている。
しかも中野は、この「からからと…」を、もう一作「遺言と」の中でもそのまま使っている。
なんのいうことが あろう/から/から/と/野晒しの/白骨が鳴り/僕/の/枯れた/指を 風が 越え/鋭/い/君/の/凝視/が/堪え難い
うまく盗り入れてますねえ。よほど気に入ったのだろう。
芥川賞候補になるような人がなぜこんなことをしたのか。とは言っても、文学作品の盗作はいくらでも例がある。近刊『盗作の文学史』(栗原裕一郎)という大部の本が出ているくらいだ。しかもその本の中には石原慎太郎の盗作疑惑に関する記述までがある。
で、中野だが、
“ばれない”と思ったのだ。
「指と天然」は戦前昭和十七年発行のそれほど世間をにぎわせた歌集ではなく、福田も若くして世を去り有名ではない。
しかし宮翁さんは見破った。この『象形文字』を読んですぐに見破った。凄いですね。戦前に出た歌集の中の一首が使われていることにすぐ気がつく。わたし、信じられません。
すでに神戸新聞記者だった宮翁さん、もちろん記事にしました。しかし、載らなかった。その事情は、読者が想像して下さい。
さらにわたしは宮翁さんから聞いた、福田米三郎に関する話に興味津津だ。 つづく
出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。喫茶店《輪》のマスター。