7月号
神戸新開地・喜楽館一周年記念 特別インタビュー
落語家 六代 桂 文枝さん
神戸新開地・喜楽館一周年記念 特別インタビュー
神戸に寄席を定着させてほしい
県や市、地元商店街が力を合わせてオープンした喜楽館
―文枝さんと神戸との関りは。
文枝 落語の世界に入ってすぐのころ、ラジオ関西で番組を持たせていただき、サンテレビでは「上方落語大全集」という番組をやらせていただきました。この時期にほとんどの古典落語を聞き、勉強したように思います。番組収録が終わったら三宮の中華料理屋さんへしょっちゅう行っていました。当時、神戸では柳笑亭や凮月堂ホール、よしもとや松竹の寄席、松鶴師匠の落語会などにも出させていただいていましたので、思い出はたくさんあります。
―そして、喜楽館オープンにご尽力いただいたのですね。
文枝 震災が起き、神戸を離れて行く人も多く、ハーバーランドにつくった海岸通り劇場もなくなり、神戸のために何かできないかなと考えていたとき、神戸新開地のお寿司さんから一通のはがきが届きました。それまでは知らなかったのですが「東の浅草、西の新開地」といわれ、チャップリンが来た街だと聞きました。映画と落語、世界は違ってもチャップリンの笑いの凄さに憧れていましたので、ぜひ新開地で何かやりたいと思いました。
実際に行ってみると商店街にあまり元気がない。もう一度、活性化しようと頑張っておられる高四代さんにお会いしました。四代さんと私が六代文枝、合わせて十代。すごいご縁やなあと…。
―大阪に繁昌亭、神戸には喜楽館と二つの上方落語の寄席が揃いましたね。
文枝 繁昌亭とはひと味違う素晴らしい寄席を作っていただきました。若手落語家の発表の場にもなり、有り難いことだと思っています。繁昌亭とはオープンまでの経緯が全く違って、喜楽館は兵庫県、神戸市の協力もいただき、商店街の皆さんも一緒になって開館しました。造りも全く違い、繁昌亭は天満宮のすぐ北側にありますから寄席らしい純和風、喜楽館はハイカラな神戸らしく、おしゃれなイメージになっていますね。
―喜楽館の高座に上がられての印象は。
文枝 神戸のお客さんは本当にいいお客さんです。粋なところがお有りなので、よく笑っていただきます。7月は13日から19日まで1週間、1周年記念特別公演に出させていただきます。喜楽館はとてもやりやすい高座ですので、私も楽しみにしています。
米朝師匠の落語に魅せられ、五代目文枝師匠に教えられ
―文枝さんが落語家になろうと思われたきっかけは。
文枝 高校生の時、演劇部の先輩にレツゴー三匹の正児さん、春団治師匠のお弟子さん、二代目春蝶さんがおられました。楽しい雰囲気の高校で、私もお笑いをやっていました。といっても当時、上方落語はあまり人気がなく漫才ばかりでしたが、大学に入ってたまたま米朝師匠の落語を聞きました。師匠はそのころまだ40歳になっていないのに、貫禄がありましたね。その時、私は「自分が目指すのはこれだ」、中学の絵画部、高校の演劇部でやってきたことが落語に集約されていると感じました。そして、真剣に落語を聞くようになりました。
―大学に入って落語研究会に?
文枝 進学した関西大学には落語研究会はなく、「誰かやらないか」という国文学の先生の呼びかけに応じて「落語大学」を立ち上げました。同級生の林君が初代〝学長〟、私が二代目〝学長〟(笑)。ユニークな林君の名前が省之介(しょうのすけ)。私が大学卒業後、落語家になろうとよしもと興行へ行ったら、社長の名前がなんと林正之助。運命的ですね(笑)。
―お笑いの世界に入っていかがでしたか。
文枝 その頃、若手の落語家には仁鶴さん、枝雀さん、春蝶さん、小染さんなど数人いて、中堅、ベテランも元気で、上方だけでなく東京でも落語界が百花繚乱の時期でした。私はいい時に落語家になって良かったと思っていました。テレビ番組「ヤングおー!おー!」にも出していただき、いい時代を過ごさせていただきました。
―内弟子として入られた五代目文枝師匠の思い出は。
文枝 怒られるということはほとんどなかったですね。
一番印象に残っているのは、師匠のかばん持ちで歩いているとき大学の同級生に声をかけられ、しばらく立ち話をするということがあったんです。その夜、師匠から「お前はもう芸人になったんや。同級生であろうと誰であろうと、みんなお客さんや。丁寧に接することができないと、落語家としての根性を持つことはできない」と教えられました。それは私にとって一番大事な言葉になりました。全てのお客さんに優しく接することで、たくさんのお客さんに観ていただけるようになると、それ以来、肝に銘じてきました。
努力してある程度のレベルに達したら、新しい発見がある
―文枝さんといえば創作落語ですが、その魅力は。
文枝 分かりやすいということですね。古典も初めは創作だったわけですが、いつの間にか落語の型を作ってしまい、そこからはみ出すことができなくなった帰来があります。笑わせるものではなくて格調高いものとしてきた時代がありましたが、落語は楽しんで、笑ってもらう笑芸です。本来、市井のものですから皆さんの生活の中から作らなければいけない、下ネタや汚い言葉は使わない、人を誹謗中傷することは言わない。それをモットーに創作落語を作ってきました。時代に合うだけでなく、時代を越えて10年、20年、100年続く落語を作りたいと考えてきましたので、今、多数の落語家が取り上げてくれているのは嬉しいことです。それはいいのですが、どこへ行っても演目を見ると、誰かがやってくれるので私自身がやる演目が無い。ちょっと困っています(笑)。次々作らないと…今で293作、年齢的に厳しくなってきましたが300作目指して日々、努力をしなくては。
―いろいろなことにチャレンジしておられますね。
文枝 私自身が同じことはやりたくないということもありますが、若い人たちの刺激になればいいと思っています。型にはまってしまわずに、どんなことでも落語になるということを若い人たちには分かってもらいたいですね。
―これからの上方落語について。
文枝 落語家はお客さんを飽きさせないように切磋琢磨して努力しなくてはいけませんが、その努力が若い人にはちょっと足りないように思います。頭が柔軟な若いうちにどんどんネタを覚えて、自分で新しい笑いを作る。やればやるほど新しい笑いは発見できます。ある程度のレベルに達したら、また新しい発見ができます。この繰り返しです。
―これからの喜楽館について。
文枝 劇場担当の弟子から報告を受けていますが、毎日ちゃんとお客さんが入り、総体的に見ていい感じで推移しているのではないでしょうか。ただし、人気は〝人〟の〝気〟持ちです。人の気持ちは衰えやすく、いい時もあれば、悪い時もある。いい時は驕らず、悪い時は腐らず、神戸にせっかく作った寄席を定着させてほしいと思います。
神戸新開地・喜楽館 (新開地まちづくりNPO)
TEL.078-576-1218
新開地駅下車徒歩約2分
(新開地商店街本通りアーケード)