7月号
触媒のうた 17
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字 ・ 六車明峰
今回はちょっと一服、といったところの話を。
先に岡本久彦先生のことを書いたが、そのこぼれ話。
岡本先生の『出石郡人物誌』を読んでいて「えっ?」と目に留まった言葉があった。
出石の偉人、桜井勉の項である。
「…明治元年出石藩耳士に任ぜられ同年九月弘道館講師を拝命し、明治二年藩制改革に臨み…」
この中の「耳士」という言葉である。なんと読むのだろう?「みみし」か「じし」か。わたしは初めて出会う言葉だった。もしかしたら桜井勉は絶対音感の持ち主だったのかと思ったり。というのも、絶対音感は、第二次大戦中、飛行機のエンジン音で敵機か味方機かを判別しようと音楽教育に取り入れられたという話を聞いたことがある。明治元年といえば、まだ幕末の騒々しさが残っていたであろう。敵の襲来に備えてのこと?とも思ったりしたのだが、まさかねえ。
しかし「耳士」という言葉はなにかを想像させるものがある。
わたし、辞書を調べました。
いつもお世話になっている『新明解国語辞典』、載ってません。『広辞苑』、載ってません。でっかい『大辞林』、載ってません。もちろんパソコンでも調べましたが浮かび上がってきません。最後の奥の手、『日本国語大辞典』(小学館)。さすがにこれには載っているだろう。
この際、わたしが架蔵するこの『日本国語大辞典』について書いておこう。
もうずいぶん前から宮翁さんはわたしに「物書きの必需品ですから、お持ちなさい」と言われていた。が、わたし、購入しませんでした。そのうち、宮翁さん、「うちに取りに来てください」、ということでわたし、翁のお下がりを頂いたのでした。
翁の仰っしゃるには「新版が出たので買いました。古いのでよければもらってください」と。この意味、お分かりだろうか。実は翁、新版はそれほど必要ではなかったのでは?わたしにこれを持たすための方便だったのでは?そうだったに違いない。
『日本国語大辞典』(小学館)はご存知のように大冊である。ずらりと並んでいるのを見た人は百科辞典かと思ってしまうが、国語辞典である。一冊700ページ前後あり、全20巻。項目数45万、用例75万。特に用例が充実していて物書きには便利なのだ。
そのお下がりの『日本…』は、神戸新聞社を定年退職した折に、退職金で購入したという代物。翁、大切な思い出の辞典なのである。
これには翁の書き込みが無数にある。毎日々々そばに置いて愛用しておられたのだ。
さて「耳士」。
ない。いくら探してもない。この辞典に載ってない日本語なんてないはず。けどない。
こうなると、困った時の宮翁頼みである。
翁は、神戸の月間雑誌『雪』で長年にわたり「ことば探偵局」というページを担当しておられて、もう240回を超える。これは読者が疑問に思って調査依頼する言葉を追求するページである。神戸で「言葉」といえば宮翁さんなのだ。翁の書斎に入って驚くのは、四方が言葉関係の書籍で埋め尽くされていること。『国語辞典にない言葉』なんて本まである。
ここに持ち込んで相談すれば間違いなく解決すると思った。
ところが翁の答えは「そんな言葉はないでしょうね。誤植でしょ」と。何かほかの字と間違ったのだろうと。そして、
「桜井勉といえば偉い人ですから、調べれば分かると思いますよ」とおっしゃる。なるほど誤植か。だけど「耳士」とはいかにもありそうな言葉だ。
で、わたし調べてみました。すると、桜井勉の略歴に、「明治元年(1868年)3月藩主のすすめで貢士となり…」というのが出て来たではないか。これだ!と思って宮翁さんにその資料をFAXしたら、翁も調べていて下って同じことをわたしにお電話を下さるところだったのだ。
ついでに桜井勉だが、数え上げれば切りがないほどの業績がある、幕末から明治、大正、昭和と活躍した出石の偉人だが、わたしの興味をひいたのは、今の兵庫県の形を作った人ということでもある。宮翁さんの言。
「桜井地理の頭が二つの海に跨る県を作ったのは、南北の風土を兵庫だけに作ってテスト県にしたかったから―と柳田(國男)翁に伺いました。色んな意味で(気候から産業、気質、コトバ、方言etcの面まで)新しくスタートする日本の将来をこの県でテストしたかったとの見識!」
さて「貢士」である。「こうし」と読む。わたしはついぞ聞いたことがない言葉だ。今度こそ『日本国語大辞典』のお出ましである。
(略)
③明治維新当初、諸藩主の推挙により藩論を代表して公議に参与した議事官。
もうこれに違いないですね。
しかし、誤植のおかげでいい勉強をさせていただきました。
出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。喫茶店《輪》のマスター。