2012年
7月号
菊枝陵祥作曲「紅葉の賀」(H16・神戸文化ホール)

神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 芸術家女星編 第30回

カテゴリ:文化人

剪画・文
とみさわかよの

日本音楽社主事・琴唱会代表・
兵庫県筝曲連盟理事・神戸三曲協会理事
菊枝 陵祥さん

筝は源氏物語や宇津保物語にも登場し、一千年も前から姿かたちも変わらない楽器で、平安朝では男性も書・詩(うた)・筝をたしなみました。一昔前までは習い事としてポピュラーだったお筝ですが、今ではお教室も少なくなりました。一方で「新曲」と呼ばれる、洋楽化した演奏をする若い世代も現れました。そんな時代に生田流師範として生徒を率い、伝統的な「古典」を伝え続けている菊枝陵祥さん。「これからも、神戸で活動を続けます」とおっしゃる菊枝さんに、お話をうかがいました。

―邦楽の道に進まれたのは、どのようないきさつが?
母が師範だったので、子どもの頃から、ごく自然にですね。実は東京の音楽大学(洋楽)に進学するつもりだったのですが、昭和20年の大空襲の災禍で全てを失った上、父も亡くなって…それでも、私の人生に音楽はあったわけです。34歳までは母・菊枝起世が師、その後萩原正吟先生、菊原初子先生という、邦楽の最高峰の指導者に師事することができました。今は、邦楽の道に進んでよかったと思います。邦楽は年齢を重ねる程に、味が濃くなってまいりますから、まだまだこれから!と。

―お筝の演奏は、古曲も新曲も素人目には同じに見えてしまいます。古典には、どういった特徴があるのでしょう?
お筝は奈良時代に渡来し、神楽や雅楽の伴奏に用いられておりました。筝を弾き、文字を書き、詩(うた)を詠むことは、言わば特権階級の最高教育でした。それを民衆に広めたのが、祖師と崇められる八橋検校(17世紀)です。その当時から延々と伝承された、明治以前の曲を古曲と言いますが、日本人の音楽性の高さに驚かされる名曲揃いで、それらを習う時、伝授する時は感動で胸が震えます。古典は派手な手さばきを嫌い、心の安定・謙虚さが第一と教えます。ご挨拶や礼儀作法も自然に身に付き、5歳の子どもでも座ってふすまを開け、挨拶をして入ってくるようになります。日本の伝統文化は型から入りますが、礼儀作法はものを習う上では最も大切ですね。昔の子女は楽器を学ぶ過程で、日本の精神も身に付けていたのですが、今の時代は子どもは受験、若い人は仕事や子育てに忙しく、なかなか習う機会が無いようです。日本人は勤勉で努力家、礼節を学ぶ国民性があるのですから、元気を出していくつの手習いでもいいですから、始めてみると新しい発見があると思いますよ。

―邦楽の合奏曲は、どのようになっているのでしょう。
古典は純筝曲ものも多いのですが、三絃(三味線)との合奏曲が半分以上を占めていますね。掛け合いと言って筝と三絃で交互に弾いたり、三絃が表拍子・筝が裏拍子で合奏したりします。私たち古典の者にとって、筝と三絃は車の両輪ですから両方を手掛けますが、別にどちらかだけを習っても構わないのですよ。以前はお筝・三絃・胡弓の合奏を三曲と言いましたが、現在は胡弓より尺八との合奏が増えました。筝という字にはたけかんむりが乗っていますから、美しい竹の音が入ることで、よい合奏ができるといいですね。

―お筝は本来、今日よく目にするような舞台で弾くものではないとうかがいました。
同じ日本の伝統文化でも、日本舞踊は舞台を目標にしますが、私たちは「演奏会」を目指して勉強するわけではありません。そこが大きな違いですね。お筝はもともと、舞台ではなく部屋でひとりで弾いて、自分の心に聴かせるための楽器なんです。私もひとり演奏する時、特に作曲をする時などは、好きなお香を焚くなどして精神統一します。戦争末期の灯火管制の薄暗い燈の下、母とお弟子さんはズボン姿で、防空頭巾を横に向かい合って練習しておりました。空襲警報が鳴ってお箏の音が止んだ、その時のふたりの真剣な様子を思い出します。私にとってお琴は、どんな時も自身の生き様の中にある楽器ですね。

―あくまで自分の心に聴かせる、それが古曲なのですね。
かつては各家庭にお箏があって、親から子、子から孫へと引き継がれていました。お箏は家庭内の楽器だったのですが、今日、私たちは邦楽の素晴らしさを伝えるために舞台公演をさせていただいております。ただ古曲は、数曲続くとどれも同じに聞こえ、舞台音楽としては面白味が無いようです。それに比べ、華やかで一曲一曲に個性がある新曲は、一般に受け容れてもらい易く、舞台向きですね。古曲はやはり筝曲を習っている人たちが、ひとりで何度も何度も繰り返し勉強し、自分の心に聴かせるようにできているのです。

―神戸は洋風文化のまちですから、洋舞・洋楽の方が盛んで、邦楽を志す人は少数なのでは。
それでも他の土地、京都や東京へ行こうとは思いませんね。私は神戸っ子ですから、神戸のために尽くせたらそれでいい。伝統文化の、本当の意味での良き指導者でありたいですから、弟子を増やそうと安易に宣伝や広告を出したりはしません。人は巡りあった相手によって変わっていくものですから、すばらしい人に出会えるのは幸運です。これからも日本の心―書と詩(うた)、そして邦楽を伝えていく活動を、この地の先生方としていきたいですね。

―筝曲師範として、そして女性として、夢かなえた人生と言えますか?
生きる道はいろいろあっても、こうして私が尊敬する母の跡を取ったのも宿命なのでしょう。ご神仏に守られてのことです。そしてこれからは、私の一人娘が跡を取って、伝えてくれようとしています。伝統文化の継承者として、大変に幸せですね。女性としても、もちろん幸せですよ。夢かなえられたことに感謝して、日々を送っております。
(2012年5月1日取材)

菊枝陵祥作曲「紅葉の賀」(H16・神戸文化ホール)

とみさわ かよの

神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。

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