2月号
デイリーに着用できるジュエリーをつくりパールの素晴らしさを広げていきたい。|美しい街で美しく
フォーマルなイメージの強いパールを、もっと日常的なものに!
代々続く、家業の真珠ビジネスを手伝う傍ら、オリジナルブランド「MAAYA」で新しいパールのお洒落を発信。
―真珠の総合商社を代々営む奥田家の長女として生まれた麻弥子さん。お祖父様から子ども用のパールのネックレスをプレゼントにもらうなど、幼少期から美しいパールを見て、触れて、という暮らしだったとか。
パールに限らず、女子ですからアクセサリーは好きでした。お小遣いを貯めては、好きなアクセサリーを購入していました。大学生の頃、「AGATHA Paris」がとても流行っていて、同級生とヨーロッパ旅行に出かけて、パリの本店で意気込んで、お買いものをした思い出があります。
―大学を出られて、すぐお父様の仕事を手伝われるようになったのですか?
いいえ、ホテルで3年ほど勤めていました。おもてなしや接客術を学ぼうと思って入社したものの、配属されたのはなんと人事部で(笑)。表舞台とは全く関係のない給与計算などを行っていました。社会人としての基礎的な知識を習得後、将来、真珠の仕事をするときに役立つのではないかと思い、大阪の宝石の専門学校に通い、「GIA G・G (米国宝石学会グラジュエイト ジェモロジスト)」の資格を取得しました。父の会社を手伝うようになったのは、その後のことです。
―GIA G・Gとは、宝石業界で成功するために必要なダイヤモンドおよびカラーストーンの総合的な知識を深める、業界で最も権威のある資格のひとつだとか。
カラー、クラリティ、カット、カラット重量という4Cや、宝石を評価するための技術的な専門知識と実践的なスキルを示す資格なんですよ。天然石か合成石かを識別したり、石のグレードを判断したりという宝石の知識だけでなく、ビジネスのノウハウなどもきちんと学べたのが良かったですね。それまでは家業のことも深く理解しようと思わなかったのですが、ビジネスのことを学んだことで、父が40歳代の頃、精力的に世界を飛び回っていたことがいかに大変なことだったかわかり、改めて尊敬するようになりました。
―お父様の奥田一弥さんは、真珠業界にタヒチ産黒蝶真珠を広めた第一人者として知られています。
「真珠といえば、白」が常識だった時代、業界内のパイオニア的存在として 「タヒチ産黒蝶真珠」の取り扱いを開始しました。1990年当時、タヒチ産真珠の総生産量は少なく、黒い色をした黒蝶真珠は珍しかったものの、爆発的に売れるものではないだろうと考えられていました。そんななかでも父は頻繁にタヒチに足を運び、養殖業者と連携して、取扱量を増やし、10年かけて業界でのタヒチ産黒蝶真珠における有数の地位を築きました。
黒蝶真珠は、黒蝶貝からとれるものを示します。“黒真珠”という大きなくくりで見ると、白いあこや真珠を黒く染めた加工真珠も含まれます。今ほど普及されていなかった時代には、黒色系の色味から仏事でしか利用してはいけないというイメージをお持ちの方も少なくなく、日本で市場をつくるには大きな苦労があったようです。もちろん仏事のみならず、披露宴などの華やかな席でつけていただいても全く問題ないですし、カジュアルな普段のファッションアイテムの一つとしても楽しんでいただくのもおすすめ。黒真珠には様々な色があり、ブラック系、シルバー系、ダークグリーン系、ピーコック系と各々の色で呼び方も変わります。ピーコック(孔雀)カラーと呼ばれるように、クジャクの羽のようにグリーンや赤味が現れるほど評価は高くなります。若い人からはシルバーなどのメタリックな輝きを放つものや、白の真珠&黒の真珠のコントラストで互いに引き立てあうデザインも人気です。私自身も大学生ぐらいまでは、真珠は地味なイメージで物足りなく感じていましたが、30歳をこえて、主張をしない良さがわかってきたように思います。真珠の魅力が似合う年齢になったということでしょうか(笑)。
―現在は、弟さんもお父様の事業を手伝われています。麻弥子さんは社内でどのような役目を果たされているのですか?
女性ならではの視線でビジネスサポートしています。買付けやマーケティングは父や弟がビジネス的手法を駆使して実施しますので、私は女性がどんなシーンでパールをつけたいか、日常生活や晴れの世界でのパールの位置づけなどの意見を伝えています。
―ご自身のブランドも立ちあげられたとか。
はい、自分が身につけたいと思うシンプルなパールジュエリーのデザインを数年前より手がけるようになり、「一粒のパールの神秘的な美しさを伝えたい」という思いを込めて、2016年、自身のブランド “MAAYA ”を立ち上げました。ブランド名の MAAYAはサンスクリット語のMAYAと、私の名前の麻弥を掛け合わせたもの。私の名前は3月生まれだったので弥生の弥と、父の名前の一文字をとったと聞いていますが、MAYAは幻想の世界を作る神などの力という意味も持ち、外国の方にも読みやすく、覚えてもらいやすいブランド名になったのではないかなと思います。
―“MAAYA”のデザインの特徴を教えてください。
身近にトライしやすいリングやピアスを中心にデザインしています。一粒ひとつぶ、形や色目が異なるパールをつなげて、ゆらゆらとスィングさせたり、という遊び心のあるデザインを心がけています。手にとりやすい料金帯を設定し、モードなイメージで楽しみたい人は黒蝶真珠、お顔周りを上品でワントーン垢ぬけて見せたい人には白の真珠をおすすめしています。
真珠は天然の生物が作るものなので、表面に突起やくぼみは必ずといっていいほどうまれます。だからそのくぼみにダイヤモンドを埋め込む加工を施すなど、本来の素材がもつマイナス要素をもプラス要素にチェンジするデザインにも挑戦していきたいと考えています。
―真珠は日本の皇室、イギリスの王室などでも伝統的に愛用されている格式高い宝飾品というイメージがあります。
私は真珠ほど、コストパフォーマンスのいいジュエリーは他にないと思います。ダイヤモンドって、小さくても価格もとってもお高いですよね。それに比べて真珠は大きくても価格がお手ごろなものもあり、フォーマルの時のみならず、カジュアルな装いにも品を与えてくれる。ひとついいものをファッションに取り入れるだけで、ぐんと格も上がるので、日常的なファッションと組み合わせられる上質なパールジュエリーを作ることで、真珠のおしゃれがもっと広がっていくといいなと思います。
―今後、“MAAYA”の直営店の展開などはお考えですか。
いつかショールームをつくれたら、と考えています。沢山手に取っていただいてパールをもっと身近に感じて欲しいです。使わずに大切に飾っておくだけではなく、まずは身につけて、どんどん楽しんでほしいと思います。まずは身につけて、どんどん楽しんでほしいと思います。とてもお洒落な友人がいるのですが、彼女はデニム&Tシャツに本物のパールをさりげなくつけて、本当にかわいいんです。お気に入りのジュエリーをつけていると、しぐさも身のこなしも自信に満ち溢れ、より一層ステキに見えるんですね。彼女のような人がもっと増えていくと、神戸の街ももっとキラキラと輝いて、楽しくなるような気がしますね。
パールジュエリー
MAAYA デザイナー
奥田 麻弥子さん
1980年神戸市生まれ。1949年にお祖父様が創業した「奥田真珠」から、1993年にはお父様の奥田一弥さんが独立し、「奥田真珠貿易(株)」を設立。同社の広報活動を行いながら、自身のブランド「MAAYA」デザイナーとしても活躍。2005年GIA G.G (米国宝石学会グラジュエイトジェモロジスト)取得。趣味はアート観賞。じっくり見たり、ぼんやり感じたり、リフレッシュの時間。普段使わない五感が刺激され、新しいアイデアや発想が浮かんでくることも