3月号
商売から学んだ人の生きる道
お洒落・ファッション, 人, 婦人服, 経済人
松谷彰久さん(株式会社紅屋代表取締役相談役)
神戸三宮センター街、さんちか等に出店し、神戸ファッションの礎を築いた婦人服専門店「ベニヤ」の創業者・松谷彰久さんが、商業界全国連合同友会の、兵庫同友会で、「我が人生を語る」と題し、その半生と、経営哲学を語りました。一部を抜粋してご紹介します。
店と共に歩んだ人生
神戸は海と山とに囲まれ、風光明媚な土地柄で、昔から他国の人が出入りしていた港まちでした。他都市に比べ、神戸の女性は着こなしが上手で、ファッションが洗煉されているのは、ヨーロッパからのエレガントな文化が入ってくる土地柄であったからでもあるでしょう。そんな神戸でファッション業界にたずさわってきた私も、卒寿を越す年齢になりました。店は息子たちが元気でやってくれているのですが、まだまだ創業者という意識は強い。私の妻も、いまだに朝起きれば「店はどうや」と聞いてきます(笑)。
大正から昭和、平成を生きた我々の世代は常に礼節を重んじ、そういう教育を受けてきましたから、ご先祖や父母に感謝するのが当たり前でした。海軍にも4年間入隊しましたが、それも良い体験になりました。20歳からの4年間、壮年期の厳しい軍隊生活は私にとって人間形成の場でした。
私たちの時代は日本の高度成長期でしたので、趣味に凝る時間はほとんどありませんでした。仕事が楽しくて仕方がなかった。私の経営に対する信念は「盆栽経営」です。盆栽を丁寧に育てるように、一店一店を大切に、お客様に愛される店を作るのが、専門店の原点です。私自身が工業学校の工芸科出身だったこともあり、店の設計や飾り付けには特にうるさかった。何でも直角になっていないと気が済まないのです(笑)。女性物の販売において、特に注意することは、女性は男性より性格が繊細であるため、細かい所に注意が必要であるということです。店頭も整理整頓し、買い物が楽しくなる雰囲気が大切です。そして常にマーチャンダイジングにおいて、ニューファッションに心がけること。女性は特に、色彩においても関心が高く、色彩が販売の重要ポイントとなります。色で買い、色で楽しみ、色で自己表現するのです。そういったことで、常に美的感覚を重視しておりますから、いまでもたまに店を覗いて、そういう部分があると直させます。うるさく言うと思われているでしょうが、これが私の生き甲斐なのです(笑)。
昭和22年に、家内との結婚を機に神戸で最初に店を出したのは東灘区本山(当時の精道村)で、婦人雑貨や化粧品を売る店でした。しかしその当時の本山(精道村)というのは、阪神国道にも少ししか車が走っていないようなところで、こんなところで商売を続けて大丈夫か(笑)と心配になりました。というのは私は京都の町中に育ちましたから、「店は小さくても一等の場所の一等地に出したい」という思いが強かった。ですから三宮センター街に出店したのです。センター街の店では、初日から大変な売れ行きでした。というのは、女性ものの洋服、洋品、下着などの商品を東京から仕入れている店は他になかったんです。ショーウィンドウのバックに、赤い別珍(ビロード)を貼って、その上に白いブラジャー、コルセット等を貼り付けるという目立った飾りつけで存在感を出し、内装にも凝りました。
一方で大きな失敗もありました。センター街にできた、当時スーパーマーケットの先がけだったN社の中の専門店街「ヤングポケット」で、設計から携わりました。真ん中に通路を作って周りに20軒ほどの個性的な店が並ぶ、当時としては斬新な設計で好評だったのですが、うちのフロアだけ全く売れなかったのです。というのは戦後すぐの当時の世情で、スーパーマーケットの中に高級品を扱ううちの店があったわけで、価格帯が全くちがったのです。ええ格好だけして売れずに1年で撤退することになりました。5年ほどかかって赤字を帳消しにしましたが、その間は体調を悪くして、相当な苦しみを味わいました。
それ以外では私の感性は受け入れられたと思います。最盛期には神戸に4〜5軒、全国で35軒まで広げました。現在は5軒まで減らしましたが、時代の流れもあってこれはこれで正解だと思っています。
代表者の顔が見えるのが専門店の良さ
人生は楽をしてはいけません。「楽は苦の種、苦は楽の種」なのです。最初に楽をすれば必ずあとで苦しみます。若いうちに楽をすればあとで絶対に苦労が訪れます。大阪の商人は三代目に養子を迎えることが多いのですが、これは、三代目は商売を潰すか、より発展させるかのどちらかで、三代目が分岐点になるからです。創業者は息子には厳しくても、孫になるとどうしても可愛がってしまい、甘えがでてきて公私混同してしまうのですね。企業でいうと、30年目が節目を迎えるという説もあります。長年続く店にはそれなりの厳しさがあるもので、常に厳しさがなければ商売は長続きしない。事業は必然的に広がっていくものですが、確実な経営を長く続けることにより、信用が得られるのだと思います。
人間は一人では生きていけません。そして生きることは「生きる」ではなく、「活きる」でないといけない。活力のある生活があり、人と共生している意識がなければなりません。店の経営も自分のものだと思ってしまうと脇が甘くなります。会社は社員とともに成長するものですし、公のために仕事をしなければ長続きはしないのです。大きく発展することは経済のなりゆきですが、皆さんに喜んでもらえる店を作ることの方が大切なのです。そういった「代表者の心が見える」のが、専門店の良さでもあります。
私は「店はお客様のために在る」をモットーに今日まで励んで参りました。現在、神戸では三宮センター街に「グラマラスガーデン」、さんちかに「フラッシュビー」が活躍しています。今後も信用第一に勤めて参ります。
(2012年12月18日講演会より)
松谷彰久(まつたにあきひさ)
1921年京都生まれ(本名・富士男)、1938年京都市立第二工業高校卒業後、神戸家具の老舗・永田良介商店に就職。海軍航空隊勤務4年。1947年東灘区に洋品雑貨店「紅屋」開業、1958年センター街に婦人服飾専門店「ベニヤ」進出。
さんちか名店会会長を経て現在相談役、さんちか名店会会長、オーガスタプラザ名店会会長、プレンティ名店会会長等歴任、商業界エルダー。