9月号
神戸のまちと共に、大丸神戸店は進化していきます
株式会社大丸松坂屋百貨店
大丸神戸店長
執行役員
冨士 ひろ子 さん
地域と共に歩んできた大丸神戸店。長年、その様子を目の当たりにし、外からも眺めてきた冨士ひろ子さんが、今年1月から店長として戻ってきた。神戸のまちや大丸神戸店の思い出、今後についてお聞きした。
神戸で育ち、大丸神戸店で過ごした22年間
―神戸の思い出は。
冨士 子どもの頃、父と母に連れられて元町商店街の伊藤グリル、ドンナロイヤ、バラライカ、神戸れんが亭、ジャンムーランなど、老舗レストランに行ったこと。味が分かっていたのかは疑問ですが、どれも神戸らしく国際的なお料理ばかりでした。残念なことに、思い出のお店の一部が閉店してしまいました。
―大丸に就職された頃の思い出は。
冨士 短大卒業後、大丸に就職し22年間神戸店1階で勤務しました。入社当時は、今はエルメスが入っている旧居留地38番館が従業員施設になっていました。「こんな古ぼけた建物…」と言う人もいましたが、石造りで趣があり、私は大好きでした。元々は銀行の建物でしたので1階には経理出納部門があり、らせん階段を上がっていくと、そこに休憩室やロッカールームがありました。
―あの歴史的建造物が!?
冨士 当時はまだ価値がほとんど認識されていなかったのだと思います。今から思えば本当に贅沢な話ですね。
歴史的建造物も活用し、元町界わいが一体となって発展
―現在は活用され、旧居留地一帯は人気スポットになっていますね。
冨士 その後、旧居留地の美しい建物や老舗店が並ぶ元町商店街など価値ある含み資産をもっていながら活用されていないということに気づき始めます。そこで、大丸神戸店も含め、地域全体で盛り上げていこうという考え方に変わってきました。
―建造物の活用には大丸が大きな役割を果たすことになるのですね。
冨士 1980年代半ばを過ぎたころ、ビルオーナーさんから「1階部分だけでも何かに活用できないか」と大丸へお話を頂きました。すると、欧州のラグジュアリーブランドがこの旧居留地の景色をすごく気に入り、建物に興味を示しました。そこで大丸が一旦借り受けブランドを誘致するという形をとり、周辺店舗開発が始まりました。ピーク時には、「東は東京に1店舗、西は元町旧居留地に1店舗」などと言われ、ウェイティングリストができるほど…ところが95年、阪神・淡路大震災が発生しました。
―大丸神戸店も大きな被害を受けましたね。
冨士 正直、「私も失業か」と思いました。神戸にいた人間には、一体何が起こっているのか把握できない状態。そんな中、神戸新聞さんには次々と情報を出していただき本当にありがたかったですね。そして約3カ月後には仮オープン、2年後にグランドオープンに至りました。この間、お客さまに支えていただきました。22年が過ぎ、復興は進みましたが、多くの傷ついたものは決して元には戻りません。前を向いて突き進むしかない時に来ていると思っています。
外から神戸を眺める貴重な経験を経て、店長に
―その後、神戸を離れることになったのですね。
冨士 13年間離れていましたが、初めて神戸を外から眺める貴重な経験だったと思います。新たな神戸の魅力を発見したり、当たり前だと思っていたことが意外とそうでもないと気づいたり…客観的に見られるようになりました。一つ言えるのは、神戸の人は贅沢にではなく丁寧に暮らすことを尊重していますね。また、本社勤務時代、札幌から博多までの店舗を回り感じたのは、神戸の地域愛に勝るものはない。
―今年1月、店長として戻って来られたのですが、やはり嬉しかったですか。
冨士 仕事で神戸に戻ることは二度とないと思っていましたので、まずびっくり。恐らく私にとっては大丸での最後の仕事。「ここで燃え尽きてもいい」という覚悟です。会社から「必要ない」と言われなければですが(笑)。
お客さまの人生全てのターニングポントに寄り添う
―店長としてどういったビジョンをお持ちですか。
冨士 「東洋一の美しい百貨店として、神戸から始まるライフストーリーを紡ぎ続ける」。決してグローバルな百貨店を目指すわけではなく、東洋にあることに誇りを持ち、ここに1軒だけある百貨店を目指します。「美しい」とは環境はもちろん、サービスや働く者の姿勢が美しくなくてはならないということです。神戸にはいくつもの「ファーストワン」がありますが、今後も神戸から始まるライフストーリーを発信し続けなくてはいけません。神戸のお客さまの人生全てのターニングポイントに寄り添い続ける百貨店でありたいという思いです。
―美しいサービスとは。
冨士 新快速が止まらないJR元町駅、最寄りの東口にはエスカレーターがなく階段を下り、雨が降ったら傘が必要、決して便利とはいえない条件にもかかわらずお客さまにはわざわざ大丸神戸店へと足を運んでいただいています。それを改めて認識するところから始めようとしています。「いらっしゃいませ」だけでいいのか?サイズを切らしていたら「申し訳ございません」だけでいいのか?心遣いのあるサービス、つまり美しいサービスとは何かに気づけるのではないかと考えています。
地域の玄関口として、
愛され集客できる百貨店に
―これからも地域と共に発展を目指すのですね。
冨士 百貨店が独自に頑張る時代ではありません。旧居留地、元町商店街はもちろん、三宮地区、メリケンパーク、ハーバーランドなど地元地域との話し合いが大切です。それぞれの地域で頑張っている人たちの熱い思いを線で結びつけていくお手伝いができないかなと考えています。おこがましいのですが、大丸神戸店がその玄関口でありたい。そのためには、皆に愛され続ける魅力を高めていくことが大切です。
―既に着手していることは。
冨士 まず館内の環境を整えることです。本館7階リビング雑貨フロアの改装を終え、現在、6階メンズフロアの改装を進めています。現状はレストスペースが少なくなっていますが、私はこれを必要なものだと捉えています。
―神戸市ではクルーズ船を誘致してインバウンド集客に力を入れています。大丸としては。
冨士 もちろんインバウンドにも期待をしています。ただし、インバウンド向けの品ぞろえだけを増やそうというものではないんです。神戸の人たちのライフスタイルに興味をもってもらい、神戸を代表する百貨店大丸に憧れて訪れる人がいっぱいになったら嬉しいなと思っています。
―頼もしい店長さんですね。
冨士 たまたま店長という役割を担っていますが、分からないこともいっぱいあって、皆に助けてもらっています。私は若い頃、相談もせずに勝手に突っ走り、失敗もしましたが、いつも上司が全面的に助けてくれました。その恩返しのつもりで、今度は若手のアイデアをどんどん取り上げていこうとしています。9月には百貨店の「贈り物」の概念を覆す若手からの提案で企画が進んでいます。1階の吹き抜けスペースを1週間「自由に使っていい」と企画・運営を任せています。私も楽しみにしていますし、皆さんもご期待ください。
―まちと共に進化する大丸神戸店に期待しています。
ありがとうございました。
冨士 ひろ子(ふじ ひろこ)
(株)大丸松坂屋百貨店 執行役員 大丸神戸店長
1981年4月、㈱大丸入社。2004年、同社梅田店婦人雑貨子供服部長。同社グループ本社百貨店事業本部MD統括本部第2MD統括部マーチャンダイザー、㈱大丸松坂屋百貨店営業本部MD戦略推進室第2MD推進部マーチャンダイザー等を経て、2011年、㈱大丸松坂屋百貨店執行役員営業本部MD戦略推進室 自主事業統括部長。2013年、同社執行役員大丸大阪・梅田店長に就任(現任)。2017年、大丸神戸店長に選任