5月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第53回
剪画・文
とみさわかよの
彫刻家
菊川 晋久(きくかわ のぶひさ)さん
彫刻のまち・神戸を支える作家のひとり、菊川晋久さん。代表作のモニュメント「神戸港移民船乗船記念碑」は、メリケンパークの潮風の中、神戸の歴史のひとこまを物語っています。「よく彫刻はなぜ裸なの?と尋ねられるけど、具象彫刻家は健康な人間の肉体こそが美の根源であり、人体に秘められた比例と均衡にこそ美の理想があると考えているから」。生真面目に、一途に具象彫刻に取り組んできた菊川さんにお話をうかがいました。
―なぜ彫刻の道に進まれたのですか?
僕の親は美術を学ぶことには寛容だったけど、「生活は普通にできるようにしろ」と言われてね。それで京都教育大へ進学して、ずっと教員をしながら彫刻を制作してきた。大学へ入った頃は油絵を描いていたんだけど、彫刻を選んだのは一種の反抗心からでね。「作品を売りたかったら陶芸をやれ、茶碗は割れたらまた買ってもらえる」と言う先生がいて、そういう考え方に反感を覚えて、同じように粘土を触るにしても陶芸ではなく塑造(像)を手掛けた。でも本格的に学び直して展覧会に出品するようになったのは、30歳を過ぎてからだった。
―立体作品は文字通り彫り刻む「彫刻」、粘土で原型を作る「塑造」、そして近年は金属を溶接したり他の素材と組み合わせるなど、様々な表現があります。
日本には埴輪や土偶、東大寺戒壇堂の四天王像などの塑像も存在したけど、三次元の立体作品の主流は木彫だったから、英語のSculptureの訳語は「彫刻」でよかった。明治になってラグーザが石膏による型どりの技法を伝え、このやり方が普及していくと、彫刻と塑造を同時に表す「彫塑」という言葉が提唱されて長く使われた。しかし近年の技法は、彫・塑だけでは言い表せないくらい多様化した。それで再び「彫刻」が立体作品全般をさす言葉になったわけだ。僕の造る型どりによる作品も、今は「彫刻」と呼ばれている。
―作品は、モデルを使って制作するのですか?
かつてはモデルを使っていたけど、現在では人体比例に基いて制作している。僕は人体比例と均衡に理想の美があると考えているからね。制作は、作者がその作品を通して何を訴えようとしているのか、その意図が最も大切。動きや情感を出すために途中でモデルを使うこともあるし、ポーズのヒントは雑誌や広告などから得ることもあるかな。
―「神戸港移民船乗船記念碑」の制作には、いろいろいきさつがあったとか。
あれは実は、最初の案では裸だった。計画段階では男性は腰布、女性は貫頭衣みたいなものを着けていたんだが「裸はいかん」と言われたもので、日伯協会の山田芳信さんがいろいろ調べてくれた。昭和初期の、一番渡航の多かった夏の服装にしようということになって、男性はカンカン帽に三つ釦の上着、女性はアッパッパ(木綿のワンピース)スタイルに落ち着いたんだ。
―注文制作は、大変なことなのですね。
彫刻は作品を造る時間や費用が半端じゃないから、僕も年間の展覧会に合わせて計画を立てて制作している。受注制作はやり甲斐はあるけど、まず制作時間の確保が大変。展覧会にはFRP(樹脂)で造って出品するけど、注文を受けて納める作品はブロンズに鋳造する必要がある。これは業者に頼まなくてはならないし、制作過程で依頼者の要望やいろいろな意見が出てくるので、自分の考えだけでは造れないところがあり苦労する。
―ご自身の制作活動について、思うことは?
生涯現役で制作を続けるのが理想だね。僕は展覧会に追われて、忙しくしてるから元気なのかな。こうして活動できることを、ありがたく思います。
(2014年4月7日取材)
作品のひしめくアトリエで語ってくださった菊川さん。制作中の作品は均整のとれた体をしており、「理想の美」を具現していました。
とみさわ かよの
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。