10月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第58回
剪画・文
とみさわかよの
作曲家
下村 正彦(しもむら まさひこ)さん
コンサート終盤、ソリストが拍手に包まれながら客席を指し示すと、立ち上がって照れくさそうに一礼なさる作曲家の下村正彦さん。新しい楽曲を世に送り出しながら、歌曲やマリンバ合奏などのアレンジにも、手腕を振るってこられました。華やかな舞台の言わば縁の下の力持ちとして、県下の演奏会を支えて来られた下村さんに、お話をうかがいました。
―この世界に入られたのは?
父親が音楽家だったので、その影響はあると思う。でも小さい頃は野球をやってて、音楽から逃げ回ってた。ところが高2で進路を決める時、普通の大学へ行く気がせず、音楽はある程度やれたからそちらへ進もうとしたけど、楽器はやってないし声楽は父親に「お前の声はアカン」と言われまして。じゃあ作曲なら、理論だからやってできないことはないだろうと…今思えば動機不純かなあ。
―それから受験勉強を?
そう、それからピアノを習いに行って、結果として二浪して東京芸術大学の作曲科へ進んだ。受験といっても音大の浪人は同じことのやり直しをしてるわけじゃなく、先へ先へと進んで行けるから灰色どころかバラ色の浪人時代だったねえ。芸大の同期には作曲家の加古隆や松田昌、テレビやラジオの音楽番組の司会をしてる森ミドリなんかがいました。
―神戸とのご縁は?
僕は生まれた京都で小学校時代を過ごし、中学・高校は大阪、大学で東京へ出て、卒業後に神戸山手短期大学の音楽科(のちの表現芸術学科)に就職して、神戸へやって来ました。水が合ったのか、ここに41年勤めることに。大組織だと教材も「これを使え」になりがちだけど、山手では自分が教えたいように教えることができてよかった。今ではすっかり神戸の人間です。
―学校ではどんなことを教えておられたのですか?
作曲と音楽理論、ソルフェージュ(音感教育の基礎訓練)などを教えていました。和声学やオーケストラの楽器を中心とした楽器論、管弦楽法も範疇です。和音の連結には一定のルールがあるとか、移調楽器の楽譜の書き方とか、言わば作曲の基礎。例えば移調楽器のクラリネットは、ドの音を書くと実際は♭シが鳴る。だからハ長調にしようと思ったら、楽譜はニ長調で書く。音楽大学の卒業生は、そういうことも知っていないといけないからね。
―作曲家として、作品発表の場としての演奏会も、40回近く開催しておられます。
故・小山清茂先生が創設した作曲家集団「たにしの会」に所属して、コンサートで作品を発表してきました。作曲家は作品を世に出そうと思ったら、ソリストにギャラを支払って舞台で演奏してもらう必要があるから、発表の度に大変だったけど、それだけやってきたという自負はある。40年近く続く作曲家グループなんて、他には無いですよ。
―これから、したいことは何でしょう?
この年になって?まあこれまでは学校中心にやってきたから、これからは専門中心に生活して、ちゃんとした曲を書かなあかんね。大きな曲を1~2年かけて書くとか。自分の書きたい曲、ある程度の大きさの曲を仕上げたいなあ。
(2014年8月28日取材)
教育者としての仕事が一段落し、作曲に情熱を傾ける下村さん。新しい曲の誕生が待たれます。
とみさわ かよの
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞、平成25年度半どんの会及川記念芸術文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。