12月号
触媒のうた 46
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字・六車明峰
昭和29年、神戸新聞紙上で始まった宮崎修二朗記者による連載、「郷土文学アルバム」は大好評を博し、後に社長の命令で『文学の旅・兵庫県』として一本になる。宮崎翁、弱冠33歳の時だ。
その連載に姫路生れの有本芳水(ほうすい)が取り上げられて、長く忘れられていた氏にまた脚光が集まることになる。
「丁寧な感謝のお便りを頂きました。岡山へ疎開してからは淋しく暮らしていましたが、あなたのおかげで…と。そして、ぜひ遊びに来てくださいと。いいご縁を頂きました」
芳水は詩人としても著名だったが、忘れてならないのが編集者としての仕事。「実業之日本」社で手腕を発揮し、交わりのあった文学者は無数といっていい。平成四年に出た後藤茂氏の『わが心の有本芳水』(六興出版)にはこんな記述がある。
《有本芳水著『笛鳴りやまず』(昭和46年刊)は、芳水が三十余年の雑誌記者生活の間に触れた、ある日の作家たちの風貌や話しぶりをいきいきとつたえていて、楽しく読めた。(略)尾崎紅葉や夏目漱石、石川啄木ら五十九人を登場させたこの本は、芳水の記憶のたしかさにも驚かされるが、それ以上に文壇回想録としても興味がつきない。》
『笛鳴りやまず』には、ほかにも幸田露伴、坪内逍遥、森鴎外、泉鏡花、徳田秋声、田山花袋、国木田独歩、島崎藤村、菊池寛など数多の文豪が登場する。そんな人の話を宮崎翁は直に聞いておられたのだ。録音しておけばよかったと仰るのもむべなるかなである。
そうして聞かれた話の一つに若山牧水とのエピソードがある。牧水生涯の名作といわれる歌、「幾山河越え去りゆかば…」が生れたいきさつだ。この話は後に井伏鱒二も芳水に直接取材して『取材旅行』(昭和36年・新潮社)に書き留めている。
早稲田大学の学生時代の話である。芳水と牧水は、夏休みに同じ列車で帰郷したという。
《私が岡山で下車するさい牧水に「君も宮崎に歸るなら、ついでに僕の郷里の方を旅行してみたらどうだ」と云つた。(略)牧水は岡山で私と別れると、ひとりで岡山から高梁川沿ひに行つて上流の新見から西に折れて廣島縣に入り、備後の東城町から安藝の國の西條町を經て下關に出た。さうして、郷里の宮崎に歸ると私に手紙をよこした。その手紙に、新見町から東城町に行く途中、岡山縣と廣島縣の境の峠の茶屋でつくつた歌を書いていた。「吉備の國にて詠める」と傍注して、「幾山河越え去りゆかばさびしさの果てなむ國ぞ今日も旅ゆく」と書いてゐた。だからあの歌は、牧水が學生のときに詠んだ歌だ。》
「その話をお聞きしてぼくは、二本松の峠への道を、この歌を反芻しながら何度も歩きました。後(昭和39年)に歌碑が建てられてからは田辺聖子さんもお連れしたことがあります」
先に上げた『笛鳴りやまず』には牧水のことも詳しく書かれており、牧水が芳水を詠んだ歌も紹介されている。
今もなほ匂ひはうせぬ とにかくに蕾なりけり有本芳水
宮崎翁が懇意にされていた文人知事、阪本勝氏も芳水のファンだったという。
「芳水さんがぼくを訪ねて来られた時にね、阪本さんにお知らせしました。すると即座にやって来られ、そこに富田砕花先生も加わって、四人で花隈へ繰り出しました。その宴席で芳水さんが仰るんです。『砕花先生、あなたの歌をよく口ずさんでいましたよ』と。そして朗詠されました。
蒼茫と野暮れ山暮れ海暮れぬかなしや佐渡は夕あかりのみ
そうして仰いました。『砕花先生、あなたは朗詠がお上手でしたねえ』と」
芳水は1886年生まれ、砕花師は1890年。ほぼ同年代だ。
ここで砕花師の朗読について少し。
砕花師と仲の良かった谷崎潤一郎はその著書『文章読本』(1934年)にこう書いている。
《近頃大阪のJOBKから富田砕花氏が詩の朗読を放送され、(略)富田氏のような朗読の名人は、宜しく各学校に招聘されて然るべく、国漢文の先生たちは一と通りその方の技能を備えておられるようにしたい。》
ラジオ放送の第一者だったのだ。宮崎翁が発見されたレコードが芦屋の美術博物館にあるという。
さて芳水は、晩年に「我が心の自叙伝」を神戸新聞に載せている。これも宮崎翁の触媒仕事ではなかろうか。その終わりの部分。
《明治、大正、昭和に亘って雑誌記者生活をしたが、今にして思えば「日本少年」主筆のころが、最も楽しかった。(略)明治時代に青春の日を送り、接触して、歌を作り詩を作った人は、みなそれぞれ知名人になった。歌人の若山牧水、前田夕暮、石川啄木、詩人の北原白秋、俳人の飯田蛇笏等である。しかし、私は何の名もなくわずかに生き長らえて、余生を送っているのである。 (昭和四十四年三月)》
つづく
出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。