2月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から93 田中冬二の詩碑探訪
一昨年の本誌3月号と5月号に田中冬二の詩のことを書いた。「城崎温泉」という詩の中の言葉に疑問を持ってのこと。
もう一度その詩を上げておこう。
飛騨の高山では「雪の中で山鳥を拾つた」といふ言葉がある。/私は雪の中で山鳥を買つた。/可哀相に胸に散弾のあとのある山鳥を/さむい夜半だった。/私はそれを抱へて山陰線の下り列車を待つてゐた。
疑問を持ったのは「雪の中で山鳥を拾つた」という鈎括弧付きの言葉。
これにどんな意味があるのだろうか、というものだった。その顛末は本誌HPのバックナンバーからお読みください。
その原稿を書いていた時、その詩碑が城崎温泉にあるということを知り、行ってみたかったのだが、コロナやわたしの体調のことがあり断念したのだった。
わたしの妻は三人姉妹の真ん中。
突然話が変わるがお許しを。
三人は仲がいい。妹さんは門真市在住。お姉さんは豊岡市にお住まいだ。その三人が城崎温泉で姉妹会を催すという。昨年晩秋のこと。
これはチャンスとわたしも加えてもらうことにした。
温泉旅館で楽しい宴を過ごした翌朝である。
妻と二人で詩碑を探訪する積りだったが、四人で一緒に行くことになった。
わたしは城崎温泉の観光絵地図(志賀直哉や富田砕花など多くの文学碑が記されている)を用意していたのだが、冬二の詩碑は温泉街を抜けた外れにある。歩いて行くには遠い。そこでお姉さんの車で行くことになった。
わたしは助手席に乗せてもらっていたが、「あっ、過ぎたんちゃう?さっきの場所、気になる」。
Uターンしてもらって行くと広場があり、奥の方には築山があって自然石が形よく配置されている。いかにも詩碑がありそうな場所だった。背景には松とモミジが鮮やかなコントラストで紅葉を引き立てている。そこに陽があたって見事な光景だった。城崎温泉にこんなに静かでいいところがあったとは。
しかし、いくら探しても冬二の詩碑は見つからない。
そこで、城崎観光協会へ電話して尋ねてみることにした。
若い女性が出て、事情を説明すると「しばらくお待ちください」と。そりゃそうですよね。ずっと昔の詩人の情報なんて若い人が知るわけない。
やがて、「城崎國際アートセンターの向こうです」との答え。
「いや、その辺り探したんですけどね、ないんですよ」 「清嵐亭という旅館の前にあるはずですがねえ」とのこと。
しかし清嵐亭という情報をわたしは持ってなかった。ネットで詳しく調べておけばよかったのだが、簡単に見つかると思っていたのだ。スマホの画面はわたしには小さすぎる。
その旅館、清嵐亭はあったが、その前はすぐ道路になっていて道を挟んで川が流れており、その向こうは山肌である。詩碑があるようなスペースは見当たらない。
清嵐亭は休業中のようで人の気配がなく尋ねることもできない。
仕方なく少し離れたところにある「城崎國際アートセンター」で尋ねたが、やはりご存じない。観光絵地図に載っている以上の情報は得られない。田中冬二のことを話してあげると「勉強します」と恐縮しておられた。
その時、わたしのスマホが鳴った。妹さんからだった。
「見つかりました」と。
なんと「清嵐亭」の玄関脇の軒下にそれはあった。とても詩碑が建つような場所ではない。
しかし、迂闊であった。「清嵐亭」の前には違いないのだから。
広くはない道はカーブになっている。歩道もない。車に注意しながら見させてもらう。青御影石の碑面は少しも汚れておらず、背後から笹の葉が縁飾りのように覗いている。
針金のように鋭く清潔な文字がはっきりと読める。間違いなく田中冬二の字だ。鈎括弧もきちっと刻まれている。思わず中指の腹で撫でた。
わたしは冬二との約束をやっと果たせた気がして安堵した。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会員。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。