10月号
舞台に立つことは初心にかえること。今の自分を知ることができる大事な場所。
ウィリアム・シェイクスピアが『マクベス』で描いたマクベス夫人。悪女の代名詞とも言われる、名もなき夫人「レイディマクベス」の人生を紡いだ新しい物語が生まれました。京都劇場での公演[2023年11月16日(木)~11月27日(金)]を前に、主演の天海祐希さんが来阪。本作品の魅力をお話しいただきました。
マクベス役は、ダンサーで俳優のアダム・クーパーさん。共演のお話を聞いた時のお気持ちは?
初めは「私?天海祐希って他にもいるんじゃない?」と思ったくらい驚きました(笑)。
今回のマクベスは、シェイクスピアの戯曲とは設定が違っていて、言葉より身体で表現するお芝居になっています。演出についてお聞きしたら、この役をアダムさんに、と考えるのは当たり前、正解!と思いました。
多くの舞台にご出演されていますが、忘れられないシーンがあります。『雨に唄えば』日本公演でのこと。舞台の中央にたたずむアダムさんへの照明を、彼は全部吸収して、ご自分の色に変えて客席に届けていた。ものすごく感動して号泣して、サイン欲しい!と思いました。そんな方とご一緒できるんです。想像できますか?笑。
ポスター撮影でお会いになっていかがでしたか?
そこにいらっしゃるんだけど、初めは「本物かしら」と思いました。撮影時はちょっと緊張しましたけど(笑)、だんだん現実になってきました。
アダムさんも演出のウィル・タケットさんもイギリスの方なので、シェイクスピアのベースが私たちとは違います。例えば、古い言葉と新しい言葉の違いをどう表現するか。そういうことを教えていただけるのは楽しみです。
それから、お稽古前のウォーミングアップや作品に向かう姿勢、演じる時の体温、熱量とか、そういうものを身近に肌で感じたいと思っています。
誰もが知るシェイクスピアの舞台を、視点や設定を変えて新作として取り組む、世界初演の作品です。台本を読んだときの感想は?
シェイクスピアってものすごく昔のお話ですけれど、人間関係、人の在り方、生活の営み、人の思い、妬み、嫉み、恨み。そういうものってなんら変わってないんだなと思います。そこをベースに現代にも通ずる言葉、なおかつ響きの美しい詩的な言葉を使った台詞が素敵だと思いました。
ある地点に到達していく人間の状況が丁寧に描かれています。レイディとしては駆け上がっていくつもりですが、実際には駆け落ちていく。そのギャップの描き方は面白いと思います。そういった景色がちゃんと想像できる本です。
“世界初”に関しては、ものすごい言葉で恐怖を感じますけれど、前例がないということは“自由”と考えるようにして(笑)。出演者の皆さんと、各々の立ち位置、役柄からの考えをたくさん話し、理解しつつ、ウィルさんの導く方向に歩んでいこうと思います。
これまで持っていた「マクベス夫人」のイメージは?
そんなには引っかかっていなかったんです。「手の血が消えない!」という有名な怖い台詞。やはりそこは印象に残っています。なので、こういう切り口でマクベス夫人を舞台にするって聞いたときにびっくりしました。
今回は、物語の中で「母」というもうひとつの顔を持つことになっています。それによって彼女の人生が大きく変わっていくという設定にも、感心していただけると思います。
内側のエネルギーがちゃんとしていなければ伝えることができない。そう感じています。
悪妻のイメージですが、どう演じたいですか?
今回のレイディは、はじめから『悪妻』と想像しなくてもいいと思います。
彼女の行動とか思い、なぜ彼女がこういう捉え方をしたのかなどが丁寧に描かれているので、見た人が「やっぱり悪妻」と思うのか、「方向を間違った人」と捉えるのか「悲しい人」なのか「強い人」なのか。私がどう演じるかということよりも、作っていく中でどんなレイディになっていくのかを大事にしたいと思っています。私は台本のレイディに誠実でありたいと思います。
悪妻かどうか。ご覧になった方がどう感じたかを、逆に伺ってみたいです。
テレビ、映画でもご活躍ですが、舞台の仕事への思いをお聞かせください。
元々、はじまりが舞台なので、舞台に立つのは初心にかえることでもあります。舞台では、現在の自分を発声や体力を通して知ることができます。低下している点は補う策を、良い点は保つことを考えます。舞台には「必ず出ていたい」と思っています。
京都での公演は初めてなんです。歴史ある京都で、海外の古典を演じることにワクワクしています。そして、繰り返しますが(笑)、アダムさんと同じ板の上に乗って舞台を作ります。ぜひ、劇場で生で感じてください。