7月号
新連載 教えて 多田先生! ニュートリノと宇宙のはじまり|〜第1回〜
多田先生の少年時代
宇宙のはじまりとは―。最初に存在した最も基本的な物質、つまり素粒子を組み上げて恒星や銀河系をつくり、宇宙は出来上がったと考えられています。素粒子のひとつニュートリノを研究することで、なぜ宇宙の始まりが解明できるのか、この連載で素粒子物理学者の多田将先生に教えていただきます。
高エネルギー加速器研究機構の多田と申します。本欄にて一年間お世話になります。どうぞよろしくお願い致します。
同機構とは、元々の名前を高エネルギー物理学研究所と言いまして、一九七一年に設立された研究所です。僕が専門とする素粒子物理学の実験には、巨大な実験施設が必要とされ、それは最早ひとつの大学では建設も維持も不可能なことから、ここでまとめて面倒を見て、各大学の教官や学生たちが実験にやって来る、そういう目的でつくられた研究所です。そのため、「大学共同利用法人」という法人格を持っています。本欄にて、十二回にわたり、そこで行われている研究についてお話しをさせて頂き、それを通して、読者のみなさんに、素粒子物理学の世界を垣間見て頂こうと思っております。しかし、素粒子物理学なんてほとんどの方にはあまりにも馴染みのない分野ですよね。いきなりその話をしても、誰もついて来て下さらないかも知れません。そこで、最初は、素粒子物理学者であるこの僕が、どんな人間なのかを知って頂くために、子供の頃の話から始めてみたいと思います。
僕の大学・大学院の同期や、職場の同僚には、親が上流階級の人で、本人も幼い頃から高い教育を受け、「子供の頃から○○を目指していた」といった高い志を抱いたエリートであった人が多いです。ところが、僕はそうではありませんでした。僕には両親の他に二人の姉と一人の兄がいますが、その中で、四年制大学に進んだのは僕だけでした。父は自動車の整備士で、母は普通の専業主婦です。そういった家庭環境から、僕は親から特に勉強しろと言われたこともなく、何なら学校の成績表やテスト結果も親に見せたりせず(成績表には自分で勝手に判子を押して学校に返していました、済みません!)、自由気ままに伸び伸びと少年時代を過ごしていました。家庭の中に科学に関する興味を掻き立てるものがあったわけでもありませんので、特にそれに興味があったわけでもありません。じっと座っているのが苦手だったので、勉強は嫌いでしたね。今でもそうですが。
現代の日本では子供は大切に育てられますが、僕が育った昭和の昔はそうではありませんでした。玩具や本は姉や兄のお古で、新しいものはなかなか買ってもらえませんでしたし、父が仕事一筋の「昭和の男」でしたので、遊びに連れて行ってくれることも稀でした。でも、愛されていないとか、そういうのとは違いますよ。昭和の子沢山家庭というのは、そういうものだったのです。むしろ、四人兄弟を良く育ててくれて、両親には感謝しかありません。
父が仕事の鬼で母も家計を助けるためにパートに出たりして、姉と兄は歳が離れているのであまり家にいないとなると、友人と外で遊んだ後、家に帰って来ると、独りで過ごすことが多くなります。そうしたとき、僕は家にあるもので何らかの遊びをするわけですが、先に述べたように僕には「自分用に買ってもらったものがない」、つまり年上の家族用のものしかないわけですから、当然ながらそういう本などを読むことになります。その中で僕の一番のお気に入りは図鑑でしたが(イラストが多いため)、文章は容赦なく漢字で書いてあります。そこで僕は、それを読むために、小学校に入る前から漢字を読めるようになりました。
また、もうひとつのお気に入りは、百科事典でした。昭和期を過ごした読者の方であればご存じでしょうが、当時の家庭には、必ずと言っていいほど、重厚な百科事典が置いてあったものです。僕の父は見栄っ張りでしたので、自分では読みもしないのに、全二〇巻にも及ぶ箱入りの百科事典を客間に飾っていました。その、一冊一冊ですら子供の僕には箱から取り出すのも大変な事典を、暇潰しに読んでいました。これは実に最高の暇潰しになるのですよ。ある項目を見ると、知らない言葉ばかりで文章が構成されているので、それらの言葉を調べると、また知らない言葉が出て来るのでそれをまた調べ──という風に、無限に暇潰しが出来るのです。
特に誰も教育してくれるわけでもない家庭で、僕はこのようにして子供時代を過ごしました。
PROFILE 多田 将(ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。