3月号
神戸で始まって 神戸で終る ㉕
第13回展は「わたしのポップと戦争」と題した、当館初の2部構成による展覧会になった。第1部の「戦争」では僕の少年時代の戦争体験を通して、戦争の記憶が様々に反映された作品の特集という形で終戦70周年にあたる前年(2015年)には様々な形でそれを振り返る機会があったが、それは本来普遍的な問題のはずであり、あえて戦後70周年ではない時期に、常に省みられねばならない問題としての横尾のポップアート的な作品が紹介された。それは本来、大量生産、大量消費社会を背景に、アメリカやイギリスで興った芸術表現を指すが、近年、同時代の国際的な広がりの中で、ポップアート的な表現を捉え直す試みが海外中心に相次いでいる。残念乍ら国内ではそのようなムーブメントはない。本展はそうした文脈において、再評価が進みつつある横尾作品を特集された。「ポップ」と「戦争」は共に20世紀の物質文明の産物であり、コインの裏表のような関係にある。
僕にとっての戦争体験は、昭和16年の真珠湾攻撃で火ぶたを切った第二次世界大戦が終結する昭和20年までの5年間ということになります。戦争と同時に物心がついて、いつのまにか軍国少年として、戦争に憧れを抱いていたような気がします。誰が言うともなく、神風が吹いて日本が米国に勝利をするという筋書きができていました。しかし、次第に雲行きが怪しくなって、米軍による本土空襲が開始されました。
郷里の西脇は戦火に見舞われることはなかったけれど、昼夜関係なくB29が飛来し、明石や神戸が空襲される度に、山の向こうの空が真っ赤に染まりました。ある日、小学校の校庭で千人ばかりの生徒が朝会のために運動場に集まっていました。その時、学校の裏山の頂上から、いきなり3機のグラマン戦闘機が、パイロットの顔まで、確認できるほど低空で襲ってきました。グラマンの恐ろしいのは人を見つけると機銃掃射をあびせてくるのです。その時、僕は小学3年生です。10歳にも満たないまま死んでしまうのか、と思いました。というか、そんなことを考える余裕などありません。無我夢中で校舎の中庭のコンクリートの身体がやっと入れる小さい溝に飛び込んで、目と耳を手でふさぎました。背後から機銃掃射の弾が無数に迫ってくる、そんな幻覚の中で生きているのか死んでいるのかさえ判然としない、止まった時間の中で「無」になっていました。校舎のガラスをバリバリ振動させながら頭上をグラマンが飛び去って行き、やっと生を確認するという、こんな体験が唯一僕の戦争の恐怖体験でした。こんな光景を原点として、その後の僕の絵画には無意識裏に戦争が描かれているように思います。戦争というか、死の恐怖です。後にも先にも85年間、たった一度の死の体験です。この時の体験がなければ、僕の作品には死のイメージは烙印されなかったと思います。
「わたしのポップと戦争」は、ポップと戦争の両方があっけらかんと描かれていると思います。絵はそれでいいのです。戦争は重く、ポップは軽いですが、重いものを軽く描くことで、その本質に迫ります。一方、僕のポップは軽いように見えますが結構重いはずです。
ポップは60年代の現代美術を象徴する美意識ですが、日本にはポップは根付かなかったと言われています。が、それは評論家の意見で、実際には何人かの日本のポップアーティストが出現していたのです。僕もその中の一人ですが、評論家も美術ジャーナリズムも、それを認めようとはしませんでした。そんな数人の日本のポップアーティストは、50年後にアメリカやイギリスの美術館の学芸員によって認められ、初めて、海外に紹介されました。
その事実に対して日本の評論家はただ沈黙を守るだけです。日本人が日本人の足を引っ張る傾向は、美術に限らず他のジャンルも同じようなことが起っているような気がします。日本人が日本人を世界に先がけて評価することに怠慢というか恐れているのです。海外が評価して初めて国内の評価が定まるという、何ともおかしな構造が日本にはあります。身内を過小評価するその根源は一体何だと思いますか。
本展の僕のポップ作品(ピンクガールの一連の作品)も発表当時は全く認めようとはしませんでした。むしろ全否定です。僕に限らず、他の日本のポップアーティストも同様です。海外のお墨付きがついて初めて日の目を見るのです。何とも情けない話です。他のジャンルでも似たようなことが起っているのではないでしょうか。本当に日本人を止めたくなることが何度もあります。
まあ、幸い神戸の僕の美術館では、そのような偏見のない学芸員諸氏によって頑張ってくれています。時には展覧会の枠をはみ出したような企画を平気で行ってくれています。中味(横尾の作品)より企画、キュレーションの方が面白い場合があります。芸術は常識に抵抗することで、進歩します。僕は学芸員の諸氏に常に軌道を逸したようなキュレーションをお願いしています。そのためには学芸員の生き方がそのまま反映します。型にはまった常識的な生き方からは何も新しいものは生まれません。時にはハメをはずして、作家がびっくりするような発想の展覧会を創造してもらいたいと常に願望しています。
そのためには神戸という地域を越えて、世界的視野に立って、新しい展覧会を計画してもらいたいと思っています。
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。
横尾忠則現代美術館にて4/9より、開館10周年記念「横尾忠則 寒山拾得への道」展を開催予定。3/24、小説「原郷の森」(文藝春秋社)が刊行される。
http://www.tadanoriyokoo.com