2022年
2月号

ブラジル移民25万人が 旅立った神戸港

カテゴリ:神戸, 観光

開港以来、神戸の港は数々の歴史の舞台となった。その中でも、海外への移民船が多く出港したことは、今や忘れ去られようとしている。ブラジル移民25万人を送り出した神戸の歴史を振り返りたい。

希望の船出像

メリケンパークの「BE KOBE」モニュメント前は、週末になると、写真を撮る観光客で賑やかだ。そのすぐ近くに、親子3人の像が建つ。台座には「希望の船出」の文字。子どもは海に向かい指をさし、大人は遠い空を見つめている。その先にあるのはブラジルだ。
像の名前は「移民船乗船記念碑」。日本からブラジルへと旅だった移民船が、ここ神戸港第三・第四突堤から出港していたことを記念し、2001年4月28日に建てられた。ブラジル・サントス港にも似た像があり、父親が内陸を指さしている。

移民の背景 なぜ海外へ

神戸の港からブラジルに向け、最初の移民船「笠戸丸」が出港したのは1908(明治41)年4月28日のこと。日本人移民の歴史は、さらに40年ほど、さかのぼる。
初めての移民が計画されたのは、幕末。ハワイへ向けて移民団を送り出す直前に明治維新となり、明治政府はこれを承認しなかった。一部の者は、政府の決定を無視し移民を実行したが、後に救済を求めることになる。
政府が初めて移民を許可したのは、1884(明治17)年。オーストラリアとパプアニューギニアの間に位置するトレス海峡への真珠貝採取移民を皮切りに、翌年からハワイへの移民が始まる。
明治期の日本には、多くの労働者をまかなえるだけの重工業が発展していなかったため、出稼ぎを目的とした移民が主だ。悪質な仲介業者も存在し、労働条件は決してよいものではなかった。やがて、よりよい報酬を求め、アメリカ本土への移民が増えていく。1885(明治18)年以降には、日本人が見慣れぬ風習で暮らし、安い賃金で職を奪っていくとの不快感から軋轢を生み、排日運動にまで発展していく。NHKの大河ドラマ「青天を衝け」では主人公の渋沢栄一が、移民問題に奔走する晩年の姿が描かれた。
移民先は、世界へと広がっていく。ブラジルが候補になったのは1890年代のこと。北アメリカやカナダ、オーストラリアなどでの日本人移民への排斥運動は激化し、新たな移民先が必要だった。一方、ブラジルは1888(明治21)年の奴隷解放宣言により、コーヒー農園での労働者不足に悩んでいた。ヨーロッパ各国からの移民は定着率が悪く、新たな誘致先として日本が候補になる。双方の思惑が一致し1895(明治28)年に「日伯修好通商航海条約」を締結。1897(明治30)年に第1回目の移民1500人が神戸の港から出港するべく準備を進めていたが、直前にブラジルでのコーヒー価格暴落による財政上の理由から受け入れできない旨の連絡を受け断念。乗船予定だった船名から「土佐丸事件」とよばれた。その後、ブラジルへの移民は否定的な考えが主流を占め、最初の移民が実施されるまで、10年あまりを要することになる。

ブラジルへの最初の移民船「笠戸丸」

1905(明治38)年になって、ブラジル移民の機運が高まり、新興の移民会社・皇国植民会社の社長・水野龍氏はブラジルへと向かう。ブラジルとの交渉は、法律上の問題で契約には至らなかったが、船中で知り合った鈴木貞次郎氏を実地体験のためブラジルのコーヒー農場にひとり残して帰国。鈴木の働きぶりは、日本人への信用へとつながり、移民政策は大きく動き出す。鈴木は、やがて農園の事務や現地移民収容所の書記まで任せられた。
1908(明治41)年4月28日。ブラジルへの最初の移民船「笠戸丸」が神戸の港から出港した。移民の数781名。渡航費などのまとまった資金を用意できる人たちが乗り込んだ(後に国が補助金を出すようになる)。出身地は沖縄や鹿児島、熊本、福島、広島など多岐にわたり、農民だけではなく教師や僧侶、車掌、商売人、警官などさまざまな人たちだった。
サントス港に入港したのは6月18日。日本移民を見た印象をブラジルの新聞は「日本人の礼儀正しさ清潔感ある身だしなみを称賛する」と報じた。
ブラジルではこの日を「日本人移民の日」日本では「海外移住の日」として記念している。

移民の苦労

日本国内では移民募集にあたり、住居や土地が用意されていると伝えていたが、現地にそのようなものはなかった。奴隷制度の名残そのままで粗末な住居には床さえなく、土間に寝た。仕事も鐘や角笛の合図にしばられた監視付きの労働。中には、奴隷制度時代と同じ感覚の監督者もいたという。不作の年にあたったこと、到着が収穫期を過ぎていたこと、慣れない作業で収穫量もあがらず、悪条件が重なり収入が少なく、農園からの退去者が続出したという。移民たちが夢見た生活とはかけ離れた厳しいスタートとなった。

寄付で作られた国立移民収容所

一方、神戸からは多くの移民が出港していくようになる。1926(大正15)年に、現バンドー化学の創始者・榎並充造氏が中心となり神戸の官界、学界、財界の有力者ら70人が発起人の「日伯協会」を発足。移民政策を後押ししていく。
1928(昭和3)年、日伯協会の働きかけにより「国立移民収容所(現 神戸市立海外移住と文化の交流センター)」が神戸の港を望む高台に完成する。出発する前に1週間程滞在し、移民に向けた準備を行うための施設だ。場所は市章山のふもと。ブラジル移民を題材にした小説『蒼氓』に「この道が丘に突き当って行き詰ったところに黄色い無装飾の大きなビルディングが建っている」とある。“この道”とは鯉川筋のことであり「移民坂」「移民の道」とも呼ばれた。
当時の神戸は、蒸気機関車が走り、海には蒸気船。山の手に洋館や洋風ホテル、商店街には英語表記の看板を掲げたレストランやカフェなどが軒を連ね、近代的工場で働く職工や職業婦人らが歩くモダンでハイカラな雰囲気に包まれていた。
忙しいスケジュールの合間をぬって、移民たちは神戸の街へと買い物や観光に出掛け、諏訪山公園の金星台から神戸の街を眺めた。日本でのしばしの、もしくは最後となる思い出づくりだった。

移民たちの出発

当時、収容所のどの窓からも海がはっきりと見えていたことだろう。部屋の壁にはコチア(サンパウロ州の都市)へ向かう青年が残した「別離の言」と題された落書きが残っている。
「俺は故郷を想う 俺達は成功を夢見ている」。
出立の日、一行は収容所から港へと鯉川筋を歩く。1928年(昭和3)年3月、神戸又新日報が「異様な洋服すがたで長蛇の列を作った移民たち 珈琲かほるブラヂルに新天地求め賑やかな鹿島立ち」と報じている。
出港の時、大勢が見送るなか万歳三唱と小学生らが歌う「渡伯同胞送別の歌」が響きわたる。
 
 行け行け同胞海越えて
 遠く南米ブラジルに
 御国の光輝かす
 今日の船出ぞ 勇ましく
 万歳 万歳 万々歳

今の鯉川筋で移民の歴史に思いをはせるのは難しいかも知れないが、知らず知らずのうちに目にしているものがある。赤色をした八角屋根の元町駅前交番は、ブラジルの教会をイメージして2002年に建てられた。その前には、「FROM KOBE TO THE WORLD」と刻まれたモニュメント。4月頃に黄色い花を咲かせるイペの木もある。ブラジルの国木だ。鯉川筋に数カ所植えられ、ブラジルへとつながる道だったことを伝えている。
1930(昭和5)年3月8日に神戸を出港した「らぷらた丸」に乗船し、移民たちとともにすごした作家の石川達三は、収容所に入所するところから、ブラジルに到着し新たな生活を始めるまでを小説『蒼氓』につづっている。それぞれの立場の違いによる葛藤や船中でのストレスをいかに和らげていったかなど、移民の実態を伝える貴重な資料だ。石川はこの作品で、第1回芥川賞を受賞した。

神戸からブラジルへ25万人

神戸からの移民船によるブラジル移住が終了したのは1971(昭和46)年。国立移民収容所は何度か名前を変え、同年に「神戸移住センター」としてその役割を終えた。2009年、建物は、国内で唯一現存する移住関連施設の保存を兼ね「神戸市立 海外移住と文化の交流センター」として開館。館内に「移住ミュージアム」を開設し、国立移民収容所設立当時の神戸の街並みや移住の歴史などを写真や展示物で伝えている。
明治から現在まで、日本から世界へ移住した人は約104万人。そのうち、神戸港からの移住者は約40万人。うちブラジルへは約25万人が神戸の港から船出をした。今やブラジルでは、200万人に上る世界最大の日系社会が形成され、4世、5世、6世の時代となった。日本とブラジルの交流は、一般財団法人日伯協会らの手によって、さまざまな形で続いている。

金星台からの眺め

日本移民ブラジル上陸記念碑(ブラジル・サントス)



海外移住と文化の交流センター 移住ミュージアム

所在地:神戸市中央区山本通3-19-8
TEL.078-230-2891
開館時間:10時〜17時(移住ミュージアム)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合開館、直近の平日に休館)、年末年始
入館料:無料

写真展開催中「日本を旅立つ最後の日々in神戸」
〜ブラジル移民に思いを馳せる〜
2022年3月27日まで

https://www.kobe-center.jp

参考資料
☆日伯協会会報「ブラジル」993号
 (日伯協会 創立95周年記念号)
☆『蒼氓』(復刻)石川達三著、
 秋田魁新報社
☆国立国会図書館「ブラジル移民の100年」
 https://www.ndl.go.jp/brasil/index.html
☆一般財団法人日伯協会
 http://www.nippaku-k.or.jp/

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