2月号
永遠の友情が昇華した かけがえのない「俳版画」|神戸大学名誉教授 得津一郎さん インタビュー
永遠の友情が昇華したかけがえのない「俳版画」
ともに神戸大で学び、教鞭をとってきた、得津一郎さんと故・出井文男さんの二人展が昨年開催された。
得津さんのモダンで素朴な版画と、出井さんの飾らずとも心に響く英語俳句のコラボには、絶妙なマッチングで
不思議な魅力に満ちている。展覧会開催の経緯や、亡き友への思いを、得津さんに伺った。
定年になって、自分の著書を古書店に全部まとめて買ってもらった
─経済学者としてどのような研究をされてきましたか。
専門は計量経済学です。経済学と統計学と数学の三位一体なんですが、僕はそのどれも突出していないけど、3つ合わせたら何とかなると。
─出井さんも同じ神戸大の教授でしたよね。
二人とも神戸大卒なんですが、出井さんは3つ先輩で、兄弟弟子みたいなところがあって、僕がまだ学生の頃から親しくしていました。出井さんは物静かで思慮深いのに、なんでおしゃべりで慌て者の僕と仲が良いのかって、みんな驚くんです。でも研究の根底にあるところでは通じるところがあったのかと思います。
─定年になって、自分の著書を全部捨てたそうですが。
捨てた訳じゃなく古書店に全部まとめて買ってもらったんですが、本の取捨選択が嫌だったんですよ。ならば自分の本も含めて、公平にぜんぶ処分しようと。あと、自分の本に自信がなく残しておくのが嫌で。間違っていないか気がかりでしたが、処分して肩の荷が下りましたよ。
─版画をはじめたきっかけは。
版画の前に篆刻をやっていまして、8年くらい前から。教育学部、いまの発達科学部の書道の先生の展覧会で象形文字みたいな作品を観て、これは面白いと言ったら習いに来いと。でも書は全然上手くならない。じゃ、ハンコ彫ってみぃとやってみたら、中国人にも上手いじゃないかと褒められて。篆刻は集中するから、頭の中が空になって面白いんです。それぞヘミングウェイの「創造する仕事は、井戸を枯渇させたら駄目だ。少し残して、また新しい水が入ってくる明日まで休息すべき」じゃないですけれど、晩ごはんの後に彫りだしたら頭が空になり、仕事を継続してできるようになって。自分自身が一番納得できる論文は篆刻をはじめてから書けたんです。その後篆刻はやめてしまったんですが、彫りたいという気持ちはあって、定年を機に兵庫県立美術館の版画教室に通い出したんです。
でも最期に「二人展やりたかったな」って
─出井さんと共作をはじめたきっかけは。
僕が定年を迎えるまでは、出井さんは僕の研究室にちょくちょく来て、いつか二人で何かやりたいなって、夢みたいな話をしていたんです。出井さんは俵万智さんみたいに、日常の何気ないことを俳句にしていたんですよ。それで、僕が版画を習って、出井さんの俳句と僕の版画を合わせてみたらどうや?と。俳画というのはあるんですが、俳句と版画というのは人と同じじゃないだろうし。俳句も英語にしたら名人達に下手くそと言われないし(笑)、版画もモダンにしたらいいかなって。
─二人とも退官して本格的に活動をはじめたと。
2019年の3月に僕が退官して自由の身になって、二人で松山へ旅行に行ったり、京都へ遠足に行ったり、三宮の「ヴォイス」っていう喫茶店でお喋りをし、週に2~3度会っていましたね。ところがその年の12月、出井さんが病気になり、その翌月に入院して。コロナ禍で会えなかったのですが、電話やメールでやりとりして、治療で元気になっていると思っていた矢先、4月6日です。出井さんが電話で「僕はもう、4月中頃に死ぬと思う。良い友だちでいてくれてすごくありがたかった。子どもたちも立派に育ってくれて、十分に生きたから全く悔いがない」って冷静に…。そんな人なんですよ、出井さんは。でも最期に「二人展やりたかったな」って。コロナだから会いに行けなかったし、お葬式も家族だけで済まされましたが、亡くなった後もその言葉がずっと気になっていて。1年ほど経ってようやく奥様に会えたのでいきさつを話したら、奥様も「亡くなった後にきちんとご挨拶ができていないので作品展ができたらいいですね」と。
─それで実現したんですね。
版画をはじめて2年くらいの拙い作品展は笑われるのじゃないかと思ったのですが、時期が良かったんじゃないかな。たくさんの人に来ていただいて。作品を観てもらうより、この機会にいろいろな人に来てもらったのが嬉しかったですね。版画を褒めてくれる人も、俳句を褒めてくれる人もほとんどいなかったんです。でもみんな言うんですよ。「妙にマッチしてるね」って。
─二人の共作だからこそ良かったということですね。
出井さんが亡くなってから彫った版画も半分くらいあるんです。制作すると出井さんがいるような気がして。
─特に思い出に残る作品はどれですか。
基本的に出井さんの俳句から着想して版画にしていくんですが、「イメージが違う」とボツになったこともあります。いつも冷静沈着な出井さんが一番感情を出したのは、亡くなる2か月くらい前の作品「光る海」です。冬の空で、電線の上の烏が光る海を眺めているという俳句なんですが、感極まって電話で「あの烏は僕や」って。
─展覧会で「ここを観てほしい」というのはありましたか。
出井さんは経済学者としてものすごく優秀で、そういった側面はみなさんご存じでしたが、そうじゃない側面を観て欲しかったというのはありましたね。
─これから、どのような活動をしていきたいですか。
出井さんの俳句の作品をまだ全部彫れていないんですが、それをおいおいやっていきたいですね。ほかにも得津流の源氏物語絵巻とか、忠臣蔵も版画にしてみたい、楽しみながら。実は、末積製額さんに額装を頼んだら、ご主人と奥さんが作品を気に入ってくれたのか、展覧会に来てくれて、一緒に神戸の風景を版画にしませんかと言われたんです。でも研究者の嫌らしいところかな、ポートタワーとか嫌、忠臣蔵でも討ち入りの場面とか嫌で、「こんなシーンがあったのか!」というところにスポットを当てたい。人と同じことをしたらアカン、という固定観念があるんですよね、研究者の性で(笑)。
出井 文男
1949年奈良県生まれ
神戸大学経営学部卒業
米国ロチェスター大学 Ph.D,
神戸大学博士
神戸大学名誉教授
得津 一郎
1953年兵庫県生まれ
神戸大学経営学部卒業
神戸大学博士
神戸大学名誉教授
僕のブログの「晴走雨刻」
https://kokomagomago.blogspot.com/2021/12/blog-post_16.html