10月号
連載コラム 「第二のプレイボール」|Vol.20
Vol.20 「野球ひとつで世界を渡り歩いた異色のメジャーリーガー マック鈴木さん」
文・写真/岡力<コラムニスト>
引退後にさまざまな世界で活躍する元プロ野球選手の「今」をご紹介します。
「二ヶ月間のバイト代から諸経費が引かれ、手元に残った600ドルを握りしめ渡米しました」。そう語るのは、NPBを経験せずメジャーのマウンドに初めて立った日本人、マック鈴木さん。神戸市須磨区で生まれ小学2年から野球を始める。地元ボーイズリーグ「神戸須磨クラブ」を経て強豪高校のセレクションを受け合格。しかし高1の冬休みに自主退学する。日本での居場所がなくなり17歳で単身渡米を決意。ボーイズリーグで指導を受けた西口監督の伝手を頼りアメリカのマイナーリーグ1A「サリナス・スパーズ」の球団職員兼練習生として所属する事となった。当時、球団のオーナーを務めていたのは後に「交渉人」として注目をあつめる団 野村氏だった。
ユニホームの洗濯、球拾い、売店での氷詰め・・・球団内の雑務を全てこなす毎日。正直、野球どころではなかった。食事は、安価で手に入ったフルーツと余ったホットドッグを食べてしのいだ。しかし、その年の最終戦でチャンスは突然訪れる。消化試合の中継ぎではあったが起用され好投。アメリカの地でプロ野球選手としての第一歩を歩む。
1996年、2Aの序盤戦で好成績をおさめマリナーズへ昇格。迎えた七夕の夜、ついにメジャーの舞台に立った。1998年には初勝利を記録。プロ入りから7年という月日が流れていた。メジャーでは、6球団に在籍。そして2002年、故郷・神戸の球団「オリックス・ブルーウェーブ」に入団した。オリックス退団後は、ドミニカ、アメリカ、メキシコ、台湾、ベネズエラ、カナダと野球ひとつで世界を渡り歩いた。2011年、独立リーグ「神戸サンズ」の選手兼任監督に就任。その年のオフ、現役生活にピリオドをうつ。
引退後は、ジムのプロデュースと長田区に校舎を構える「ジャパンアスリートクラブ」で小・中学生を対象に野球の指導を行っている。「野球を介して子供たちのコミュニケーション能力と語学力を高めたい」と語るマック鈴木さん。今日も神戸の地で世界に通用する野球人を育成している。
■著書紹介
「漂流者 野球さえあれば、世界のどこでも生きていける」(マック鈴木)
定価:1200円+税
発行:(株)アンドブック
発売:(株)三交社