11月号
兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第113回
日本の医療現場で起こっている歪みとその原因について考える
─地域包括ケアシステムの構築は、重要な課題ですね。
明渡 地域包括ケアシステムは住み慣れた地域で自分らしい暮らしを最期まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援を一体的に提供するものですが、その現場ではさまざまな問題がおきています。実例を紹介しましょう。糖尿病を患う87歳の女性が将来の在宅医療を見据えて、在宅診療をおこなっていないA医院から在宅診療をおこなっているB医院に転医され、通院を開始された3か月後にB医院近くのサービス付き高齢者住宅(サ高住)施設Cに入所予定となり、以降は同施設より通院予定でした。しかし、施設Cから主治医を同施設に訪問診療している他市の医療機関に変更せよと伝えられたとのことで、B医院に相談に来らました。B医院の主治医は通院可能な状況のため訪問診療の必要性はなく、B医院に引き続き通院する旨を施設Cに伝えるよう指導したところ、数日後、「もう契約書にサインしているから、こちらの決めた主治医の訪問診療を受けてもらわないと困る」「契約時に2週間に1回往診するという条件も決められている」と施設Cから伝えられ、しかも当の訪問診療の主治医に「自分はもともと専門ではないので糖尿病のことはよくわからない」と言われたと再びB医院に相談に来られました。
─それは不安ですね。
明渡 この例は図1のようにいくつもの問題があり、包括ケアでうたわれているような、「切れ目のない医療の提供体制が守られている」、「患者さんにとって安心な医療が提供されている」とはとても言えないですよね。半ば施設に脅迫されているようなものです。
─なぜこうなってしまったのでしょう。
明渡 根本的な原因として、これらの切れ目ない医療介護の崩壊は、介護保険導入時に住宅行政や介護保険の導入にあたって起こりうるであろう問題に対する対策を充分にとらないまま、サ高住や介護関連事業等への参入を営利企業に丸投げしたこと、すなわち「拙速な地域包括ケアシステムの実施」による弊害であるとも考えられます。いわば、医療介護を管轄する厚労省とサ高住を管轄する国交省の間の縦割り行政の中、新自由主義的政策により医療費を抑制しようとしたことによる副作用といえるのではないでしょうか。
─医療費抑制政策による歪みはほかにもありそうですね。
明渡 図2のような問題点が挙げられると思います。
DPC(Diagnosis Procedure Combination)とは、診療報酬をそれぞれの診療行為に対して出来高で積み上げて算定していた従来の方式とは違い、入院基本料や検査などは病名や診療内容に応じて定められた1日あたりの定額の包括評価とし、そこに手術やリハビリなどの出来高評価を組み合わせて計算する方式で、2006年より厚生労働省指定のDPC対象病院でおこなわれています。同様の包括診療方式は介護老人保健施設(老健)や療養型病床等の介護施設においても導入されており、この制度の下では、高額な新薬の投与や検査を行うとその分施設の採算がとりにくくなるといった不都合が生じるため、新薬の投与や必要な検査を控えるといった動きが見られます。これを私は「施設の姥捨て山化の危機」と呼んでいます。包括診療方式は訪問診療にも導入されるような動きや報道もあり油断ができません。
また、DPC方式においては急性期病床のほうがより高い診療報酬をとれる為、経営上の利益を優先し急性期病床を実際の稼働数より多く報告するインセンティブが働き、どうしても急性期の病床が多く計上されてしまいます。これに基づいて作成された地域医療構想における無理な病院再編は昨年議論の的となりました。
─このような歪みはどうして生じてしまったのですか。
明渡 平成以降、政府は少子高齢社会に対応した社会福祉制度の構造改革として、介護保険制度の創設、医療費の本人負担増額をはじめとした社会保障制度の持続可能性を高めるための制度改革を推進してきました。2001年に始まる小泉内閣以降の官邸+財務省主導による社会保障費抑制のための誘導政策が、介護保険導入やDPC制度に始まる包括医療への流れを生み、間違った形の病院再編への主張を招いているというのが現実です。つまり、まず社会保障費抑制ありきの財務省による圧力があり、介護保険制度をはじめとする拙速な地域包括システムの導入や定額医療や無理な病院再編への動きに繋がり、医療介護現場で歪みが生じていると考えられます(図3)。
─海外で、財政支出を減らすために社会保障費を削減して問題が起きた例はありますか。
明渡 イタリアでは財政危機のため医療費削減をおこなったことから病院の倒産、医師の流出・廃業が相次ぎました。今回の新型コロナウィルスでは診療体制が追いつかず、結果的に医療費削減が医療崩壊による急速な感染の拡大や死亡例増加の原因のひとつになったと推察されています。このような危機に備えるためにも、強引な医療費の削減地域医療構想における急性期病床の削減、病院統合なども改めて考え直すべきではないでしょうか。
─財政を理由に医療をないがしろにすることは危険ですね。
明渡 経済学者・宇沢弘文先生は著書の中で「高齢者の増加や医療技術の進歩により社会保障費が増大することは必然の原理であり、これを無理に抑制することがいろいろな歪みを生むのではないだろうか?医療を経済に合わせるのではなく、経済を医療に合わせるべきだ」と述べています。さらに「医療は社会的共通資本の1つである制度資本で、社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に支配されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範に従って管理・運営されなければならない」と記しています。この職業的専門家という部分に医師会や各学会・専門医委員会の取るべき役割があり、専門的知見に基づいた職業的規範・倫理観に従った管理運営が望まれると考えられます。
─財政よりも優先すべきものがあるということですね。
明渡 そもそも日本国憲法第25条にあるように、すべて国民は健康で文化的な生活が保障されなければなりません。社会保障政策において最も優先すべきは財政問題ではなく、国民の健康、安全なのです。ですからマクロなレベルでの医療費・社会保障費の抑制ではなく、個々の状況に応じたミクロなレベルでの丁寧な社会保障費抑制と財源の強化を考慮するべきで、官邸および財務省主導による「初めにまず削減ありき」の社会保障費抑制政策を再考しないといけないのではないでしょうか。