8月号
「神戸で落語を楽しむ」シリーズ 喋りは最後、人となり
落語家 七代目 笑福亭 松喬 さん
「普通にやる」が難しい
─なぜ落語家になろうと。
松喬 中学の頃に深夜ラジオを聴いたからですね。「ABCヤングリクエスト」という番組で仁鶴師匠の「仁鶴の頭のマッサージ」というコーナーがありまして、お正月に落語を流すのですが、それで「初天神」を聞いたら情景が頭に浮かんで、凄い世界だなと震えたんです。それが入り口でした。
─入門はいつですか。
松喬 昭和58年、大学を卒業してすぐですが、実は高校出てからすぐ入門したいと思っていて、進路相談のとき先生にそのことを告げたら「サラリーマンの子がそんな世界入られへん。ワシの教え子で苦労しているヤツがいるから一度会ってみろ」と。それがいまの桂小枝さん、当時は桂枝織でしたけど、そんなわけで学校の一室で会って「いまはどこの大学でも落語研究会があるから、まずは進学してそこでやってみたらどうや」と。
─なぜ先代の松喬師匠へ入門しようと思ったのですか。
松喬 大学入ってから師匠選びの〝就職活動〟は熱心でした。四天王はみなさんお元気、枝雀ブームの真っ只中、仁鶴師匠も鶴光師匠も売れっ子という時代で、いろいろな寄席に行っていたら、先代がひょこっと出てひょこっと帰った。何せ時間を感じなかったんです。それで「この人凄いな」と思って追いかけるようになりました。そして、そんな芸風を見て「これならできる」と思ったんです。普通にやったらええやん、枝雀師匠のようなアクションをしなくてもええやんと。でもいざこの世界に入って、「普通にやる」ことが難しいと実感しました。喜楽館ならだいたい200人、大きなホールですと千人の前で、家で居るように居れということほど難しいことないんです。
─確かにそうかもしれません。
松喬 遠縁のおじさんがほんわかと喋ってサッと帰るような、時間を感じさせない芸。それが先代の売りです。
感謝しながら盗人噺を
─「松喬」という由緒ある名跡にプレッシャーを感じませんか。
松喬 芸の上で〝長男〟なので責任を感じて継ぎましたが、江戸時代から続いているとかいうことは意識せず自分の形でやらせてもらっています。
─2人のお弟子さんは個性があって面白いですよね。
松喬 3年間修行できっちり基礎を教えますが、あとは好きなように枝葉を伸ばしてくれればそれが一番いいことじゃないかと…思っていたらあんな形になってしまって(笑)。笑福亭は「捨て育ち」。格好良く言えばアメリカの大学風で、入れるのは誰でも入れますけれど、笑福亭と名乗れる者は入門志願者の4割ほどで、それしか残らず6割はやめていくんです。だから笑福亭は仁鶴や鶴瓶、両師匠のようなスーパースターも出れば、そうでない者も…(笑)出ると言われます。
─笑福亭の芸にはどんな特徴がありますか。
松喬 どこか野太いんですよね。だからいつも思うんですけれど、大阪観光に来た方があべのハルカスも海遊館も行きたいけれど、でも最後は大阪城の石垣を見よかと、その石垣のような存在でいたいと思いますね。大阪らしく、ちょっと無骨だけどぐっと座った重しみたいなところがあると思います。
─松喬さんといえば盗人噺ですよね。
松喬 自負していることは、本当に悪そうな奴がやったって面白くないし後味が悪いですから、お客様が私を見て「ああ、最後この人は捕まるんやろな」という雰囲気でやらせていただいているところでしょうか。人間は喋りの温度を体感的にわかるので、この人は悪そうじゃないなと思っていただけるのが良いのでしょうかね。それは芸として自分がつくったものじゃなく、自分から出たものでお客様に思っていただく感覚です。ある人にこう言われたんです。客席と同調する親しみやすい雰囲気はあなたの努力でも何でもない、家庭環境でそうなったので産み育てた両親に感謝しましょうと。ですから日々両親に感謝しながら泥棒ネタをやっているという(笑)。喋りは最後、人となりなんじゃないでしょうか。
師匠を思い出す新開地
─西宮市民文化賞を受賞されるほど地位活動に熱心ですが。
松喬 公民館の寄席をスタートさせましたが、生まれ育った西宮に何か地域貢献ができればと。西宮の活動と加古川刑務所の訪問は続けていきたいですね。
─刑務所ということは、もしかしたら窃盗犯の前で盗人噺をやるんですか。
松喬 堂々とやります!ある受刑者は私が来ると「他人とは思えない」と(笑)。私は慰問ではなくて、教育部門からの依頼なんですよ。いつも最後にこう言うんです。「寄席では〝ありがとうございます〟と言いますが、今日は言いません。あんたらお金払ってないですやん。だから社会復帰して、きれいにお金を稼いで、そのお金で寄席に来てください。その時は〝ありがとうございます〟と言います。そして手ぶらでいいので楽屋へ来て、更生した姿を見せてください。それが一番の手土産です」と。28年続けていますが、1人だけ来てくれましたね。
─かつて新開地にあった松竹座と接点はありますか。
松喬 私は直接ないのですが、先代は縁が深いんです。先代は小野の貧しい家庭の生まれで、年に2回、お父さんと松竹座に行くのをものすごい楽しみにしていて、そこで聴いた落語がきっかけで入門したそうなんです。また、先代が松鶴師匠の付き人で松竹座に来たとき、松涛庵っていううどん屋さんがいまもあるんですけれど、そこから出前取ったんです。松鶴師匠はきつねうどんを食べたんですが、当時は1杯160円。松鶴師匠が先代の分と合わせて2杯分320円払ったら「お弟子さんはカレーうどんだから足りません」と。「師匠がきつねうどん喰うてる時にカレーうどん喰いさらしやがって!」と死ぬほど怒られて、先代は「あれから俺は絶対きつねうどんしか食わん」と言うてました。新開地は先代を思い出す場所です。
─喜楽館はいかがですか。
松喬 弟子っ子の頃、お蕎麦屋さんで出前持ちしていた時、職人さんに聞いた話です。「新しいどんぶりの時はダシを少し濃くするんや。器に味が染み付いてないからな」。喜楽館もまだ器に笑いが染みついていないような気がします。もっと笑いを壁に染み込ませていただかないといけないので、来場いただき笑っていただきたいですね。落語は聴くのに予習復習がいらないので、ぜひお気軽にお越しください。また、もっと西の人に来ていただきたいですね。播州文化が香る小屋になってもいいのでは。
─最後に、今後の展望を。
松喬 いま58歳ですが、これから60代にかけて一番良い落語ができる時期じゃないかと思っているんです。先代の言葉を胸に頑張っていきたいですね。お客様は盗人噺を聴きに来られるので、今後も新しい泥棒ネタを開拓していきたいと思います。
神戸新開地・喜楽館
(新開地まちづくりNPO)
TEL.078-576-1218
新開地駅下車徒歩約2分
(新開地商店街本通りアーケード)