7月号
「神戸で落語を楽しむ」シリーズ
繰り返し叩き込まれた基礎の上に、 揺るぎない落語がある
落語家 桂 吉弥 さん
落語の面白さに衝撃を受けた学生時代
―神戸大学の落語研究会が吉弥さんと落語との出会いだったそうですね。
吉弥 子どものころから新喜劇を見たり、友達と漫才の真似ごとをやったりはしていましたが、落語は古くさいという思い込みがありました。大学に入って、学内でやっている寄席を全く期待もせずに時間つぶしのつもりで見に行ったところ、「こんなに面白いもんなんや!」と衝撃を受けました。学生なりに工夫を加えた古典落語「いらち俥」と「みかんや」、もう一つ東京落語、今でもよく覚えています。部室に遊びに行ったら、そこには面白い先輩がたくさんいて、米朝師匠をはじめ枝雀師匠や仁鶴師匠の本やカセットテープがいっぱいあって、借りて帰って聞いてみたらおもしろくて。先輩からあちこちの寄席を教えてもらって聞きに行くようになりました。それが僕の落語への入り口でした。
―そこからは落語三昧の学生生活で、卒業後はプロになろうと?
吉弥 神大の落研は先輩が丁寧に教えてくれます。そのうち自分でやるようになると、聞いている人に笑ってもらえることが嬉しくて。でもプロになるつもりは全くなかったですね。教師になりたくて一浪で神戸大学に入り、初等教育学科で留年して5年がかりで小学校教諭免許を取りました。いざ教育実習に行くと「大変な仕事やなあ、責任重大や」と実感。その頃すでに寄席で吉朝師匠の落語を聞いて「テレビで見たことない落語家だけど、お客さんがすごく笑っている。なんやろか!?この人」と興味が湧き、追っかけのように師匠の寄席に通っていました。卒業後の進路に直面したとき、学校の先生になって苦労するより、吉朝師匠の弟子になって苦労するほうが納得して辛抱できると考えるようになりました。そして師匠のところへ。
―すぐに受け入れてもらえたのですか。
吉弥 いえいえ、初めは門前払い。何度も通って、話を聞いてもらえるようになったら、吉朝師匠は「小学校の先生になれ」と。それでも何回も通ううちに、ちょっと稽古をしてくれたりして、半年ぐらい通い続け、「ほんまにやるんやな?そんなら名前を考えるわ」と吉弥と付けてもらい、やっと受け入れてもらえました。
米朝師匠のそばで学んだことが、今の自分に役立っている
―そして、米朝師匠の内弟子になったのですね。
吉弥 米朝師匠のたった一人の内弟子を独立させようという時期で、米朝師匠にとっては孫弟子にあたり、僕にとっては兄弟子のあさ吉に続いて、僕も内弟子として入ることになりました。
―米朝師匠から直接、落語を教えられたのですか。
吉弥 直接稽古を付けてもらったというわけではなく、落語家桂米朝をそばで見ることが何よりの勉強でした。どんな心構えで寄席に臨んでいるのか、日によってお客さんによってどんな演目を選ぶのか、どんなまくらを喋るのか等々、寄席が終わって車を運転しているとき、寝る前にマッサージをしているとき、米朝師匠が突然ポツリ、ポツリと話すこと全てが、今の僕にどれだけ役立っているか…当時は気付かなかったのですが。
吉朝師匠からのひと言
「全部忘れなさい」
―吉朝師匠には直接稽古を付けてもらったのですか。
吉弥 通いで3年間に10本の落語の稽古を付けてもらいました。目の前で師匠がやっているのを見て、フレーズの間や声のトーン、一言一句まで完全にコピーしないと次に進めません。普段の生活では細かいことは言わない師匠でしたが、落語に関しては厳しくて、「ちょっとぐらい違ってもいいんちゃうか」と思いましたが、今となってはありがたかったですね。
―今の若い人には「見て覚えろ」は通用しないでしょうね。
吉弥 人それぞれですから、僕にとっては良かったと思っています。大学の落語研究会でやった噺はいくつあるかと聞かれて、「つる」「道具屋」「植木屋娘」「寝床」などと、学生のころ笑いを取れた自信の演目を答えて、褒められると思ったら、師匠は「全部忘れなさい。自分がこれから教えることをきっちりやりなさい」と。高い建物を建てるとき地面を掘って始める基礎工事が大切なのと同じように、もう一度掘り返して、落語の基礎を僕に叩き込んでくれたのだと思います。その上に建てるからこそ、今の自分なりの落語ができているのだと思っています。当時の日記を見たら、愚痴がいっぱいですけどね(笑)。
落語を身近に感じてほしい
―基礎から教えられた古典落語をずっと続けておられますが、その魅力は。
吉弥 古典とはいえ落語は歴史の中で、話す人も聞くお客さんも変わってきています。お芝居よりもなお生々しく、それぞれの時代の人が、どうしたら面白さを伝えられるか悩んで工夫してきました。頑なに変わらない部分もあれば、微妙に変わってきている部分もある。やっている僕自身が感動するところです。古典落語の中で繰り広げられているドラマや心の動きは、落語を聞いて家に帰ったお客さんが、家庭でも同じように感じるところがあると思うんです。それが喜んでもらえる理由ではないでしょうか。
―吉弥さんはテレビでもよくお見かけしますが、そこは吉朝師匠とちょっと違う?
吉弥 師匠も芝居をしたり、テレビに出たりしていましたよ。でも頑固な人でしたから、何でもいいというわけではなかったですね。僕はテレビっ子世代ですから、出してもらえるのなら嬉しいし、皆さんに顔を覚えてもらって落語を身近に感じてもらえるのなら、宣伝活動にもなると思っています。
―喜楽館はオープンから1年がたちましたね。
吉弥 神戸は学生時代を過ごした街ですし、「神戸らくごビレッジ」は僕が駆け出しのころからやっていて100回を超えています。いろいろ思い入れのある街に紆余曲折を経て定席寄席ができたのは嬉しかったですね。しかも神戸の中でも、かつて娯楽の中心だった新開地に喜楽館ができたのはおもしろいと思うんですけど、今の若い人は知りませんから、どうアピールしていくかですね。僕たち落語家は愚直に一生懸命、落語をやるだけです。思い立ったらすぐ行けてライブを見られる、それが寄席のいいところです。一度来て落語を聞いていただいて、認識してもらえるように、これからも頑張るしかないですね。
神戸新開地・喜楽館
(新開地まちづくりNPO)
TEL.078-576-1218
新開地駅下車徒歩約2分
(新開地商店街本通りアーケード)