4月号
兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第九十四回
尼崎市民医療フォーラム
「100歳時代の生き方、死に方~バラ色の人生~」について
兵庫県医師会理事
医療法人社団 三圭会中川医院 院長
中川 純一 先生
─2018年の尼崎市民医療フォーラムのテーマは何でしたか。
中川 毎年秋にアルカイックホールオクトで開催している尼崎市民医療フォーラムは医療に関するさまざまな問題を考える場です。12回目の今回は10月20日に開催し、テーマは「アドバンスケアプランニング:Advance Care Planning(ACP)」としました。一般の方には「ACP」ではピンと来ないので、「100歳時代の生き方、死に方~バラ色の人生~」というタイトルにしてみました。
─ACPとは何ですか。
中川 厚生労働省が2018年に4度目の改訂版を出した「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」において導入された概念で、患者さん本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に、現在の病気だけでなく、意思決定能力が低下する場合に備えあらかじめ終末期を含めた今後の医療や介護について話し合うことや、意思決定が出来なくなったときに備え本人に代わって意思決定をする人を決めておくプロセスを意味しています。この話し合いは、たとえば入院のたびに繰り返し行われ、その都度文書として残します。リビング・ウィルや事前指示書は病気のあるなしにかかわらず、いつかは理性的判断ができなくなることがあることを想定し、人生の終末期にはこのようにして欲しいという希望を本人が家族を交えつつ当該の医療者や介護提供者と話し合った結果作成される書類ですので、特定の医療施設や介護施設を想定しているものではありませんが、当該医療施設や介護施設にとっては事前指示書に該当します。
─第1部のお話はどのような内容でしたか。
中川 昨年も大変好評だった桂歌之助さんによる落語からスタートしました。フォーラムのキーワードにあわせて89歳で亡くなられた桂米朝師匠のお話などで会場は大いに沸き、その雰囲気を受け継いで基調講演がおこなわれました。今回は講師に医師で作家の久坂部洋氏をお迎えいたしました。テーマは「人は何歳で死ぬのがベストか」で、何歳がベストかは「心の問題」とし、ベストな死を迎えるには多くのもの、より良い環境を求め過剰な人生への期待から逆に自分の人生を不幸せにしてしまうのではなく、自ら期待値を下げ、あるがままに感謝し満足を得ることができるように心を整えることが大切であると話されました。大変興味深い内容で、人生に対する考え方を転換するヒントを頂いたように思います。
─第2部はどのような内容でしたか。
中川 コメンテーターに勝谷誠彦氏、シンポジストに衆議院議員の中野洋昌氏、久坂部洋氏、尼崎小田高校主幹教諭の福田秀志氏、兵庫県参与ひょうご人生100年時代プロジェクト推進担当の藤原久義氏、尼崎中央病院理事長の吉田純一氏をお迎えしました。勝谷氏は私たちの医療フォーラムには欠かせない存在となっていて、毎回忌憚のない「勝谷節」を楽しみにされているファンがいます。しかし今回は体調を崩され参加が危ぶまれておりました。それにもかかわらずフォーラムに合わせて退院し車椅子で登壇いただきました。会場からは温かい拍手が贈られ、関係者一同、大変感謝・感動しましたが、この1か月ほど後に亡くなられ本当に残念です。謹んで哀悼の意を捧げます。
─どのようなディスカッションがありましたか。
中川 私たち医師会理事の司会進行のもと「ずばりあなたは何歳で死にたいですか?」「終末期医療、ACPってなんなん?」「バラ色の人生にするには?」などについて意見交換がおこなわれました。最初の質問は明確には答えづらい問いでしたが、久坂部氏が「先の心配、希望を考えすぎると現実をみないので、今を大切に生きることが大切である」と述べられたことが印象的でした。2つ目の問いではACPという難解な言葉が上手に一般市民へ啓蒙されたと思います。福田氏がACPについて「元気なうちに普段から年齢にかかわらず家族内で話し合っておく必要がある」と見解を示す一方で、吉田氏は「元気な間に終末期の話をどの程度までできるか難しいし、ACPという用語自体も市民や医療関係者にも十分に認知されていない」と課題を挙げました。そこで、藤原氏はACPに関連するガイドラインの紹介を行い、兵庫県での地域の看取り医療計画や在宅看取りのモデルについて説明されました。
─「バラ色の人生にするには?」という質問にはどのような答えがありましたか。
中川 まず中野氏が行政の立場から、少子高齢社会において高齢者が元気に過ごせるようにする仕組み作りについて話をされました。久坂部氏は感謝力・満足力をもって「足るを知る」ことがバラ色の人生をおくることに必要だと述べられ、そして最後に勝谷氏がチベット旅行記の話や知事選挙・自身の病気の話を交え、結果的に「そうきたか!あ~愉快だ」と思える人生を送ることが大切だとシンポジウムを締めくくりました。
─来場者数はどれくらいですか。
中川 今回は650席の会場がほぼ満席でした。本フォーラムでは第1回目から医療政策を噛み砕いて市民のみなさんへ分かりやすくお伝えすることに徹してきました。時には市民のみなさんの関心が低いテーマで空席が目立つ年もありました。関係各位、担当理事のこれまで12年間の努力が結実したことで今回、満席となり感慨もひとしおでした。今回は介護や福祉など多職種のみなさんが告知にご協力してただき、小田高校で福田氏のもと医療や介護を学ぶ生徒さんたちやその親御さんなども来場し、若い世代の姿が多かったのも印象的でした。
─フォーラムの今後の展望をおきかせください。
中川 これまで12回開催しノウハウが蓄積されてきたと思います。今後はそれをより生かすため、このフォーラムは市民と医師会の「コミュニケーションの場」という基本を踏襲しつつ、芦屋、西宮、伊丹など同じ医療圏の医師会とも協力しながら持ち回りで開催するなど、形を変えて発展させることができればと考えております。