2019年
3月号

追悼 堺屋太一さん

カテゴリ:文化人, 神戸

夢を越えた男
秀吉が愛した有馬


作家 堺屋 太一さん

★『秀吉の道』を再現しよう

~秀吉はどれくらい有馬を訪れたのでしょうか。

堺屋 私の調べたところでは、秀吉は十二回も有馬を訪れています。有馬温泉以外で湯治をしたという記録はほとんどありませんから、よっぽど気に入っていたのでしょう。有馬温泉は「秀吉の湯」という言葉がふさわしい。天下とりの真っただ中にあたる天正の末期は、秀吉が人生の中で一番輝いていたときだったんです。山崎の合戦で明智光秀を破り、大阪城を築いた。小田原の役では北條氏直を降伏させ全国統一を果たした。いわば彼の全盛期に有馬で長期間逗留をしていたわけです。おそらくこのとき、ここで秀吉は「天下とり総合計画」について作戦を練っていたのでしょう。

~家臣もかなり随行したようですね。お姫さんもたくさんお連れになったのでしょうね。

堺屋 にぎやかだったでしょうね(笑)。夜と昼の生活、プライベートと公の仕事をしっかり分けて「天下とり総合計画」を考えたのでしょう。拙著の「秀吉」の下巻で、有馬温泉について触れていますが、弟の秀長、小一郎、あるいは石田三成のようないろいろな人たちを呼んで計画を練ったようです。秀吉にとって有馬は頭を休め、未来を展望した場だったんです。単なる温泉遊びではなく、日本の将来、自分の政権について構想を巡らせつつ、有馬の街道を歩いたのでしょう。その道がどこにあったか、今となっては知る由もありませんが、歩けば当時の秀吉を彷彿とさせる「秀吉の道」を再現できれば面白い。自然を色濃く残す有馬に「秀吉の道」をつくり、当時の茶室を再現すれば、訪れる人も当時の秀吉に近い気分になれるのではないでしょうか。秀吉はいろんな趣向の茶室を全国につくった。当時、茶室の数が八百あったといわれていますから。特筆すべき例が「北野大茶会」です。すべての人々に「茶碗ひとつ、なければ瓢ひとつで参加しなさい」と呼びかけている。「茶碗のないものは瓢にても苦しゅうない」という、極めて大衆的な古語が残っています。北野社殿につくった秀吉の茶室は津田宗及の記憶によって極めて詳しく調べられ、使用した道具、掛け軸などが明確にされました。また、秀吉が最後に豪遊したといわれている「醍醐の花見」では、当時は一番から八番までの茶室を使っていたようです。おそらく有馬の「秀吉の道」にも茶室がいくつかあって、その中には、今日考えられているようなものだけでなく、竹の柱のものもあったのでしょう。豪華なものもあれば簡素なものもそろい、色々な形のものが存在した。再現した「秀吉の道」に秀吉時代の茶室を組み込めば趣も増すでしょう。

★いっそう情報化が進んだ 秀吉の時代

~先生も有馬温泉に未来の作戦を練りにいらっしゃるのですか。

堺屋 ええ、わたしも有馬で、作品の全体構想を練るようにしています。観光の復興に力を入れている「ひょうご百名所委員会」の会合でも利用しました。大切な話し合いをするのにふさわしい場なんです。団体、家族で来られてもいいし、あるいは中高年の夫婦が数日宿泊して様々な思いにふけるのもいい。会社経営者や作家などが想を練るには最適です。有馬温泉は非常に便利な所にありますから、情報化社会に合っている。秀吉の時代は、大変情報化が進んだ時代なんです。信長、秀吉が、当時の事件や出来事をいつ知ったのか、あるいは信長の身のまわりでおこった出来事が、いつ秀吉に知らされたかを調べてみると、それは驚くほど早いですよ。飛脚が走っただけでなく、手旗信号も登場している。秀吉は有馬にいる間も、絶えず大阪、京都から情報を受け取っていたようです。西国街道は京都への近道です。山陽道の裏道として中山手から船坂、有馬を通り、三木から姫路へ抜ける「湯の山越え」という道もありました。

~秀吉一行は、どの道を通ってきたのでしょうか。

堺屋 それをぜひ地元の歴史家のみなさんに調べていただきたいですね。

~川を使ったのでしょうか

堺屋 千成瓢箪は船印ですから、船で頻繁に往復していたのは明らかなのですが、それは主として淀川から瀬戸内海、伏見城と大阪城、大阪城と名古屋城の間を往復したのでしょう。有馬に行くのに船を利用したという記録は残念ながらありませんから、やはり西国街道を使ったと思われます。中国地方に進攻したコースについては古戦場が分かっていますから推測できるのですが。

~有馬へは兵士が刀傷や病をいやす目的で訪れたのでしょうね。

堺屋 それは有馬だけでなく、全国の温泉どこでも同じことがいえます。例えば、武田信玄はけがをした後、甲州の石和に行って湯治した。秀吉はかなり冒険的な戦をしているにもかかわらず、六十二年の生涯を通して負傷したという記録がほとんどないのです。織田信長は四回、石田三成は二回戦傷していますから、秀吉は幸運な生涯を送ったのではないでしょうか。

★秀吉はサラリーマンの鑑

~食事も節制していたようですね。「醍醐の花見」でも実に健康的な料理が多かったとか聞いたことがあります。石臼で挽いてこしらえたお粥とか…。

堺屋 それは秀吉に歯がなかったからですよ。末期の肖像画を見ると極度にあごが尖っていて、普通のあの容貌からすると、六十二歳まで生きながらえないでしょう。晩年には歯がすべて抜け落ちてしまった。今でも京都のあるお寺に秀吉の歯が一本残っているんですよ。「奥歯一本預け置き候」なんて書き付けが添えられ、受取人、預かり人の名前まで明記されている。さらにその歯から血液型がO型だったことも実証されています。歯をわざわざ預けたぐらいだから、最後の一本として、大切に保管しておきたかったのでしょう。だから「醍醐の花見」では、節制したというよりも、軟らかい料理しか食べられなかったといった方がいい(笑)。

~面白いお話しですね。先生が頭の中で描いた秀吉は、どのような人物だったのですか。

堺屋 信長や家康と違って、秀吉は壮大なビジョンを何ひとつ持っていません。言い換えれば信長のビジョンを実現した人であるわけです。器用、熱心、忠実の限りを尽くした人だったようです。信長の政治思想であった「天下布武」を実現させたのですが、実際天下をとってからは自分は何をすればいいか分からず、戸惑い出した。それでも何かしなくちゃいけないと、苦しまぎれに朝鮮へ出兵させたのではないでしょうか。彼が目の前にある問題を上手に解決できる目前解決型の人間だったことを考えれば、サラリーマンの鑑のような人物といえるかもしれません。信長も家康も、上司と衝突してしまう性格で、人の上にしか立てない人物です。サラリーマンは務まらない。秀吉は信長の家来として大成功を収め、先代信長の夢を実現させ、そしてその瞬間、彼は一番輝いた。だから『秀吉』のタイトルに、「夢を越えた男 秀吉」とつけたのです。

~だから人気があるのでしょうか。でも、サラリーマンなら定年後が大事ですね(笑)。

★閑寂と賑わいの両極をそなえよう

~最後に二十一世紀に向け、有馬温泉のまちづくり、堺屋さんがもっていらっしゃる期待をお聞かせください。

堺屋 「まちを歩いて楽しい温泉」であってほしい。旅館にも土産物がたくさんそろい、入ったら最後、一歩も外に出さないようになっている気がします。そうなると温泉まちの情報が薄れ、旅館同士の競争が顕著になってくるように思えます。ですから、秀吉が散策した温泉場であることを忘れず、四季折々に移り変わる自然の中で彼が思いを馳せた「秀吉の道」を復元させ、歴史を感じさせる温泉まちになってほしい。それと、都心から近いという利点を存分に生かしてもらいたい。それはつまり情報化に遅れないまちをめざすことです。例えば「秀吉の道」のような閑寂さと、ゆっくりとくつろげるエンターテイメントの両面を併せもったまちですね。ラスベガスは賭博をおこなう店が減少するにつれて、全世界の国際会議がパリやウィーンから移ってきた。一九九六年をみても、アトランタを凌いで、世界への情報発信量が最も多かった。「情報化時代の温泉」。そんなワールド・フェイスなまちづくりには、夢がある。海外には温泉はそれほど多くないですから、関西国際空港を利用してもらって「世界温泉ツアー」なんていう言葉を有馬から世界へ広げてもらえれば素晴らしい。

1997年6月発行
『月刊神戸っ子 別冊 有馬温泉特集号』より

有馬を愛したことでも知られる秀吉

1996年当時、堺屋さんの著書『秀吉 夢を超えた男』が、NHK大河ドラマ「秀吉」の原作となり放送されました。秀吉は有馬を愛したことでも知られています。取材をお願いしますと、大阪の事務所からタクシーで新大阪まで行き、そこから新幹線で新神戸まで行く用事があるからその間、約40分で話をすると。掲載する文字数を聞かれ、約3600字ですと答えました。すると堺屋さんは秀吉と有馬について滔々とお話をされました。この音声をほぼそのまま文字に起こしますと約3600字でした。高橋
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