4月号
企業経営をデザインする(6)|美味しいお肉とわが家のような時間を提供して70年
株式会社竹園 代表取締役社長 福本 吉宗 さん
「芦屋で商売に成功すれば全国どこでも通用する」とまでいわれる地で愛され続ける「竹園」。「お客様の厳しい目で育てていただきました」と話す福本社長に、70年の歴史と今後についてお聞きした。
肉や料理を見る目を磨き精肉店を始めた創業者
―70年前、創業当時の経緯は?
福本 三田出身の創業者は、幼い頃から丁稚奉公に出て働き、肉や料理のことを学びました。さらに、戦地でも食糧係を務め、肉や料理を見る目を磨きあげてきました。戦後は三田から山ひとつ越えた高級住宅地・芦屋で事業を興すことを決め、精肉店を始めたと聞いています。
―竹園という名称の由来は?
福本 元々は福本商店として営業していましたが、創業者が戦地で素晴らしい竹園の風景を見て日本へ思いを馳せたという経緯から、「竹園」として創業しました。
―戦後すぐ、大変な苦労があったのでしょうね。
福本 最初の10年は大変だったようです。芦屋で創業したものの、なかなかお客さんがつかず、出身地の三田から注文があれば自転車で山越えして配達をしたという話もありました。次第にお肉が美味しいという評判が口コミで広がり、少しずつ地元のお客さんに買いに来ていただくようになりました。
美味しいお肉を提供する旅館が評判になり…
―お肉屋さんが旅館を始めたきっかけは?
福本 精肉店の営業を始めてから間もなく、隣の旅館が廃業することになり、それをきっかけに「お客様がお肉料理を堪能できる旅館を」と昭和28年(1953)「竹園旅館」を開業しました。
―読売ジャイアンツの定宿としても知られていますね。
福本 定宿としてご利用いただくようになったのが昭和31年(1956)ですから、60年になりますね。戦後食糧難の時代、選手たちが各地で満足のいく食事ができる宿を球団が探していたそうです。芦屋で良いお肉を提供している竹園の噂を聞き、当時の水原茂監督をはじめ、読売ジャイアンツさんの首脳陣がそろって試食に来られて「ここなら間違いない!」と言っていただいたのがきっかけです。実は、水原監督と創業者は偶然戦地が同じだったというご縁もあり…涙、涙の語り合い、「お互いに頑張ろう」という強い絆があったと聞いています。これを機に「スポーツマンの宿」として全国に知られ、翌年から「ジャイアンツに追いつけ、追い越せ」と他球団様にもご利用いただくことになりました。
―長年、定宿として利用されている理由はどこにあるのでしょうか。
福本 創業者から常々言われてきたことは、「私たちの仕事は裏方に徹すること。選手の皆さんが舞台である試合に最高のコンディションで臨み輝けるように、食事や睡眠などでバックアップすることが大事なこと」。私にとってはたとえ同年代の選手の皆さんであろうとも、あくまでも私たちは裏方です。これは必ず守らなくてはならないことと肝に銘じてきました。
―昭和61年(1986)「ホテル竹園芦屋」として再スタートすることになったのは何故ですか。
福本 当時の国鉄芦屋駅前は大原市場や個人商店が並んでおり、道の舗装もままならない状況でした。竹園旅館は何棟もの建物が点在し、合わせて約千坪の敷地となっておりました。実は、私が生まれたのもそのうちのひとつ、七番館です(笑)。芦屋市が、「このままでは時代の流れについていけない」と芦屋駅前再開発を決めたのが大きな理由です。竹園旅館も時代の流れに沿って「ホテル竹園芦屋」として新生オープンしました。それは精肉店「竹園」という核(コア)な部分があるからこそできたことだと思います。
―精肉店竹園といえば、誰もが知っているコロッケ。美味しさは変わりませんね。その歴史は?
福本 創業当時に遡ります。まだお肉が高級品で毎日買いに来られるお客さんは少なかった。毎日お越しいただくために何とかしなくてはいけないと始めたのがコロッケでした。竹園のミンチをふんだんに使い、シーズンごとに仕入れの地域を変えているじゃがいも、甘味が凝縮した淡路の玉葱、それぞれ素材の良さをバランスよく引き出さないと目指す味にはなりません。当初の趣旨をそのままに、毎日食べても飽きないシンプルで素朴な味。特徴がないのが特徴です。
美味しい「竹園のお肉」に至るまでこだわりのプロセスがある
―厳しい目をもつお客様が多い芦屋で70年、愛され続ける理由はどこにあるのでしょうか。
福本 芦屋で商売に成功したら、東京でも全国どこでも通用するといわれています。それほど芦屋のお客様の目は厳しく、私どももその厳しい目で鍛えていただいています。そのお陰で、仕事への取り組み、料理へのこだわり、コアであるお肉へのこだわりが磨き上げられ、70年という伝統と歴史を築くことができたと思っています。
―例えば?
福本 4年前のレストランリニューアルもお客様のひと声「時代遅れのホテルの食堂みたいやな」がきっかけでした。30年前には流行の最先端をいっていたパステルカラーの店内が時代の流れに取り残されて、そんなイメージで捉えられていたんですね。そこで、木や石など温かみのある自然素材を使った落ち着いた雰囲気でリニューアルし、竹園一番の売りである但馬牛を使ったお肉料理を中心としたレストランにしようと決定しました。
―お肉へのこだわりは並大抵のものではないですね。
福本 私たちには五つのこだわりがあります。一つは生産農家、二つ目は血統。但馬牛の中でも優秀な血統の牛を、農家さんが衛生的にストレスなく育てているかまで厳しく見極めます。三つ目は赤身の肉質、四つ目は脂の脂質です。この2点のバランスをみることは必須です。サシが多ければよいわけではなく、たとえサーロインでも、あっさりと食べられる赤身と脂のバランスのよいお肉だけを提供しています。最後は食べ頃のタイミングです。最近は熟成と盛んに言われるようになりましたが、竹園では創業以来70年、個体差も考慮しながら最高の食べ頃のタイミングで提供してきました。
―神戸ビーフに限定せず、あえて特選但馬牛としているのは?
福本 私どもが提供したいと考えているのは、但馬牛でも神戸ビーフでもなく、「竹園のお肉」です。決してブランド名を冠にして一方的に与えられたお肉を提供しているわけではありません。美味しいお肉に至るまでのプロセスも全て含めて提供しています。例えば、一頭の但馬牛を竹園と他の精肉店で分けたとします。職人の技と熟成で仕上りが全く違ったお肉になります。これが「竹園のお肉」です。この部分には決して譲れない誇りと自信があります。
印象に残る〝竹園ならでは〟の「体験」をお客様に提供したい
―社長に就任以来10年、取り組んでこられた新たなチャレンジは?
福本 4年前、阪急うめだ本店地下2階「あしや竹園うめだ阪急店」出店。その際、私と弟が中心になり、竹園ブランドの再構築や様々な取り組みを図ってきました。まず最初に創業以来コアとなる、創業者が書いた勘亭流「竹園」の文字部分は残しつつ、精肉店のロゴを変更しました。精肉店の包装紙でご覧いただけると思います。お陰さまで、うめだ阪急店は非常に好調で昨年は年間特別報奨優秀賞をいただきました。阪急・阪神両百貨店の歴史の中でも生鮮日配品部門でいただくのは初めてだそうです。さらに「洋食館たけぞの本店」で一番大事な想いは何かを考え、「街の洋食屋」のように気軽に行けて、「家のダイニング」よりくつろげる、そして「ホテルクオリティ」の美味しいお料理が楽しめる。この3点をコアにして、ショーケースや提供するお料理などを見直しました。
―社長としての今後の抱負は。
福本 私が社長に就任してからの10年など、創業者、そして先代が築き上げてきた70年の中ではまだまだ小さなものです。今後、企業理念を成し遂げるために努力することで、少しでも創業者の理念に近づけたらいいなと強く感じています。
―企業理念にある「竹園力」とは。
福本 「私たちは竹園力を追求し、お客様に囲まれる企業集団を目指します」。竹園力とは、お客様が他では絶対に体験できない竹園ならではの体験です。何度も行って食事をしてサービスを受けたけれど、よく覚えていないという経験ではなく、たとえ一回でも、食事をしてサービスを受けてみると強烈な印象が残った、と実感していただければと考えています。この「体験」を提供するところを目指したいという事です。お客様を囲うのでなく、お客様に囲まれる竹園でありたい。そして、精肉店、ホテル、レストラン、洋食館、CAFÉ&BARなどそれぞれが独立採算制をとり切磋琢磨しながら成長していく企業集団でありたいと考えています。
―今後の展望について。
福本 海外から取材に来られた方から「お肉屋さんが発祥でレストラン、ホテルまでやっておられるのは恐らく世界でも竹園が唯一だろう」と言っていただきました。70年やってきたことは間違いではなかったと確信しました。さらに超一流、オンリーワンを目指して磨きあげていくことが、私たちの今後も目指していくべきところだと思っています。
―芦屋竹園は世界オンリーワンの竹園なのですね。これからも若い福本社長の手腕に期待しています。本日はありがとうございました。