7月号
神戸鉄人伝 第79回 和田 行雄(わだ ゆきを)さん
剪画・文
とみさわかよの
洋画家
和田 行雄(わだ ゆきを)さん
夕陽に輝く港、波穏やかな運河…詩情に満ちた、深く静かな風景。和田行雄さんの水彩画は、決して派手ではありませんが、見る者を引き込む力があります。講師としてたくさんの生徒に水彩画を伝え、団体のお世話にも忙しい和田さんもまた多くの人を惹き付け、頼りにされています。教室展設営中の和田さんを訪ね、お話をうかがいました。
―美術の世界に入られたのは?
僕は戦中派の世代ですから、軍国教育を受け、神戸大空襲で父親を亡くしています。空襲で逃げ惑った経験もあるし、学徒動員で美術どころか勉強もできなかった。でも僕自身はとにかく絵が好きだったから、終戦後は絵を描くことを貫いた。今日まで描き続けられたのは、この70年が平和だったからですよ。
―水彩画を選んだのは何故ですか?
昔は油彩画もやっていました。家の中で描くのは家族に迷惑かと思い、主に現地で風景画を制作していた。でも仕上げに時間の掛からない水彩画の方が、一枚でも多く描ける。それで水彩画をやろうと決め、水彩画家の別車博資先生に師事しました。先生の導きで東京などの団体展にも出品するようになり、数々の賞を受けとても励みになったものです。先生は水彩画の普及にご熱心で、僕も先生と行動を共にする中で育てていただきました。
―それで絵一本でやって行こうと?
最初から画家になろうと思ったわけではなく、「描くこと」に努力を惜しまなかった、その結果そうなったというのが本当のところです。画業と生活をどう両立させたものか、別車先生に相談したところ「二足のわらじを履くより、絵画教室をやっては」との助言をいただきました。それでカルチャーセンターの講師などの仕事をするようになり、今に至ります。
―結果として作家になられた、でもその道のりは平坦でなかったと思います。
美術界は努力したからといって、必ず結果が出るわけではない。でも努力しなければ何も無いままに終わる。一度志したら、実らないかもしれない努力を続けるしかない。だけど僕は、したいことが何もできない戦中を知っているから、途中で投げ出すことなくやってきました。
―水彩画は小学生の頃から習うので、一番身近に感じられる絵画かもしれません。
学校で使うのは不透明水彩絵具。皆さんよく「絵は描けない」とおっしゃるけど、子どもの頃にはちゃんと水彩画を描いていたんですよ。水彩画にもいろいろありますが、現在の水彩画のルーツは英国です。だから水彩画はれっきとした洋画。よく日本画や墨彩画と混同している方がいますが、歴史的に全く別物です。
―水彩画の若手作家は育っていますか?
課題ですね。次世代を育てるべく努力していますが、今の若い人は絵を描くのもパソコン。僕らは線の1本、色の1色を選ぶのに苦心し、「描く過程の努力」を重視しますが、機械は一瞬です。ただもうパソコンを使う人の感性も、無視できない時代になった。アナログとデジタル、双方の良さが組み合わさったら、思ってもみなかった世界が展開するんじゃないかと期待しています。
―これからはどんなお仕事を?
もちろんこれからも描き続けるし、指導も行います。幸い神戸のカルチャーセンターには、水彩画の講座がたくさんある。生徒達にぜひ、水彩画の面白さを知って欲しい。僕も普及のために努力してきたけど、そろそろ若い人にバトンタッチしなくてはと思い始めています。志を持つ若い人達に引き継いでいただければ、とても嬉しいですね。 (2016年5月24日取材)
画業一筋に生きてこられた和田さん。これからも情感ある風景画を描いてくださることでしょう。
とみさわ かよの
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞、平成25年度半どんの会及川記念芸術文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。