11月号
浮世絵にみる 神戸ゆかりの「平清盛」 第11回
中右 瑛
布引の滝での荒唐無稽な夢物語
天下三名瀑の一つと謳われた名勝・布引の滝。清盛も福原の別荘からたびたびこの名瀑を訪れた。この滝には、源平にかかわる荒唐無稽な夢物語が秘められている。
清盛の長子・重盛の家臣に難波次郎常俊という武士がいた。豪勇の誉れ高く、“平治の乱(1159)”で大いに武勲をあげ、そのあと、逃走した源氏の若大将・義平を生け捕ったりして常俊は大いに活躍し名を挙げた。
源義平(1141?~1160)とは、源義朝の長子で源氏の直系・嫡男である。“悪源太義平”との異名をとるほどに気性の激しい荒武者で、そのときは若冠二十歳(数え)だったという、“悪”とは恐ろしいほどに強いという意味である。
その義平が京・六条川原で打ち首になり、常俊はその介錯をした。
義平は悔しさのあまり
「無念、雷となって復讐せん!」
と絶叫……。
刎ねられた義平の首は常俊の刃に噛み付き、壮絶な最期を遂げた。気性の激しい義平のことだけあって最後まで人々を震え上がらせた。
豪気な常俊だが、それ以来、気の晴れぬ毎日を悶々と過ごしていたのである。
そんな時に
「滝に打たれて修行せよ!」
とのお告げがあり、常俊は布引の滝を訪れた。
滝口に僧がいて滝壺の奥へと誘った。常俊は言われるがままに滝壺の奥深くへと侵入、とうとう竜宮城にたどり着き、そこで、乙姫様から水晶玉を授かった……というのだ。
布引の滝壺から竜宮城に至る……という、夢のような荒唐無稽な話が伝わっているのだ。
左図は竜宮城のようすが描かれているのだが、右側に乙姫様、左端に颯爽とした武士姿の常俊の姿が描かれている。中央の六角堂の中に水晶玉が見える。リズミカルな波の表現は面白く、見る者を気分高揚させる。
絵師・歌川芳艶は国芳の弟子で、今でいう劇画家である。怪獣や冒険ものなどのスペクタクルな劇画を得意とした。
江戸庶民たちは夢のような冒険ドラマに胸踊らされ、わくわくした思いで見ていたのであろう。歴史物語が面白おかしく講談調に脚色されて浮世絵に登場したことに、江戸人の遊び心が知れて楽しい。
しかし、この話には続きがある。水晶玉をもらって喜び勇んで持ち帰った常俊だが、その霊験むなしく、思わぬ災難に遭遇するのだ。
次回は、舞台は同じ布引の滝で、雷となって清盛や仇・難波次郎常俊と、対峙する怨霊・悪源太義平のド肝を抜く復習劇のお話。
■中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。