9月号
兵庫ゆかりの伝説浮世絵 第四十三回
中右 瑛
世のうつろい、人のはかなさ、哀れ!落人の義経
義経が「壇ノ浦の戦い」で平家を滅ぼし、勝将軍となった。だが今度は、義経が追われる立場に逆転した。兄・頼朝に反目したため、今は頼朝に追われる身になったのだ。
平家が壇ノ浦で滅んでから三年目、文治四年(1181)に大物浦(尼崎)から一艘の船が西国に向け、出港した。兄・頼朝から逃れる義経一行だ。
出港してすぐ、なぜか、俄かに暴風雨に見舞われた。と見るうち、壇ノ浦で滅んだ平家一門の亡霊が現われ、行く手を阻んだ。平知盛の霊は船べりにまで迫り、義経を海に引き込もうとする。亡霊との戦いは一昼夜に及んだが、弁慶の祈祷に、ようやく退散した。この話は、能楽の「船弁慶」で知られ、歌舞伎にも上演されてきた。
かつては清盛が源氏の怨霊に惑わされ、いまは源氏の義経が平家の怨霊に悩む。世のうつろい、人間のはかなさを伝えている。
絵は、大物浦の知盛の亡霊を描いているのだが、波頭はことごとく髑髏となって襲ってくる。画面の中央に、マンガのオバケのQ太郎のような髑髏が描かれている。このオバケのQ太郎の髑髏は隠し絵の一種で絵師の遊び心である。面白い趣向である。
義経一行の船は、こののち、大坂住吉の浜に打ち上げられ、義経はやむなく吉野に逃れた。だが、一年後の文治五年四月、奥州衣川の戦いで弁慶ら家臣はことごとく討ち取られ、義経は自害して果てたと伝えられている。
「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし、たけき者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ」。
『平家物語』の冒頭の一節は、盛者必衰の無常を語り伝えていよう。
また江戸の人々は、義経に同情を寄せ、世のうつろい、人のはかなさを感じたに違いない。
■中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。