9月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第57回
剪画・文
とみさわかよの
日本舞踊家
花柳 芳圭次(はなやぎ よしけいじ)さん
男性になれば雄々しく凛々しく、女性になれば華やかに艶やかに。日本舞踊の世界に生きる方々の「変身」ぶりには、しばしば驚かされます。「踊り手は二枚目も三枚目も、女舞もしないといけない。その中から得手、つまり自分に合うものを見つけるんです」とおっしゃる花柳芳圭次さん。兵庫県舞踊文化協会理事として、会派を超えてのとりまとめに尽力しておられる花柳さんに、お話をうかがいました。
―この世界に入られたのは?
始めたのは6歳の時、最初は東灘区の本山で水木流の水木歌喜代師に習いました。地域に古くから伝わるだんじり祭りの屋台の上でご祝儀集めに踊らされたり、盆踊りで先頭で踊らされたりしましてね。まあ踊るのが好きで、15歳で花柳芳次師に就きましたから、花柳に入ってもう60年です。
―踊りを教えるだけでなく、ワークショップなどにも力を入れておられますね。
努めてなるべく底辺へ、底辺へと裾野を広げています。若い人、特に子どもに日本文化の根を植え付けておきたいんです。今の子は着物を着たり、立ち振る舞いを教わる機会があまり無いでしょう?だから浴衣を着るだけでも、喜ぶんですよ。面白いことに日舞をやる子は、総じておっとりしてる。バレエをやる子は、積極的に前へ出ようとする子が多いですけどね。
―日舞は若い頃から習わないと、身に付きませんか?
そうでもありません、こればかりは縁のものですから。ただ仕草が自然に身に付くのは、やはり若い時なんですね。だから子供時代に経験させ、芽だけ出しておいてやれば好きな人はまた踊り始めます。学生さんは部活や受験、そしてその後も結婚や子育てに忙しいですが、続ける人は続ければいいし、落ち着いたらまた始めるのもいい。日舞は80歳を超えても踊れます。芸事は三代続いた家は続くと言いますが、おばあちゃん、娘、孫と続いたお宅はずっとお稽古に見えます。
―習うきっかけは、やはり周囲からの影響でしょうか。
やはり家族が踊りをやっていて、という方が多いかな。中には宝塚音楽学校や、宝塚音楽タレントアカデミーに行くために習いに来る方もいます。日舞を習った人は、日本ものを演じる時の仕草がやはり違う。演出家の振り付けが無い場面で、何気なく手を出した時に指が揃うとか、さりげなく袂を持つとか、踊りの形が出るものなんですよ。
―ところで、自他共に認めるお世話好きでいらっしゃいますが…。
そうですねえ、実は下支えするのが好きで、その方が向いていると思います。兵庫県舞踊文化協会の会報の編集も10年続いたかな。舞台でも自分が踊るより、教え伝える側に回って弟子を舞台に上げる方がいい。後見も四国や広島など、西日本を中心にずいぶんと勤めてきました。教える時も生徒が何を求めているかを察して、それに応えられるように教えていますね。
―今後の夢、したいことは何でしょう?
基本的にあまり欲が無いのね、仕事も来たものをそのまま受けるようにしていますし…。まあ娘の花柳芳圭扇も舞踊家なので、跡を継いでもらうのが夢かな。私が覚えてきたことを次の人に渡せるように、きっちり託したいと思います。
(2014年7月31日取材)
世話好きのお父上を前に、芳圭扇さんは「私は自分が踊りたい方です」ときっぱり。そんなふたりのやりとりに、よき師弟関係と仲の良い親子の雰囲気が感じられました。
とみさわ かよの
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞、平成25年度半どんの会及川記念芸術文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。