10月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第70回
剪画・文
とみさわかよの
ピアニスト
坂本 恵子(さかもと けいこ)さん
優しい顔立ちがピアノの前に座るときりりと引き締まり、指が鍵盤を力強く叩き、そのギャップに驚く人は少なくありません。「のんびり、おっとりした性格と思われてるようで…自分ではシャープでテキパキしてると思うんですけど」と言うのは、ピアニストの坂本恵子さん。伴奏やソロ・リサイタルはもちろん、3台のピアノでの連弾や、神戸ビエンナーレまちなかコンサートなど、活躍の場を広げる坂本さんにお話をうかがいました。
―音楽との出会いは?
出会いはオルガンです。私が4歳の時、近所のお宅で大人にペダルを踏んでもらいながら弾くのを見て、母がヤマハの音楽教室へ連れて行ってくれました。と言っても別段に英才教育を受けたわけではなく、ごく自然な成り行きで5歳からピアノを弾き始めました。母はレールを敷いたりすることなく見守る人でしたから、私がしたいようにさせてくれました。だからずっと続けることができたのでしょう。
―中学・高校時代は音大を目指してレッスンを?
それが、ごく普通の学校生活をしていました。周囲には一日何時間も練習している人も居ましたけど、私は1時間程度。中学時代はバトミントン部やECCに所属して、生徒会役員もやっていましたよ。高校では音楽部でピアノを弾いて、毎日遅くまで皆と楽しんでいました。一般大学に進学しようとしたら、ピアノの先生が「京都芸大がいいよ」と。受験間際になってから、今度は一日10時間弾いて、無事合格できました。
―意外ですね。ピアノ科は長時間レッスンの代名詞のような気が…。
そういう人も多いですよ。でも私の場合、ピアノ漬けでなかったことが結果としてよかったのかもしれません。子どもの頃からピアノ一筋で音大に進んで、卒業したら留学して、先が見えてぱったりと辞めてしまう人もいます。それより弾き続けて、一生音楽につながっていられる方が幸せだと思う。何も全員が、一握りの天才を目指す必要はありません。音楽家はピンからキリまで居ていい、自分がその時できることをすればいいと生徒たちにも伝えています。
―ご自身はどのように、その後の進路を決められたのですか?
私はずっと、大きな夢やビジョンを持たずに生きてきました。卒業後に留学を考えなかったわけではありませんが、高校教員の採用試験に受かったので就職しました。でも教員は制約が多いし、何より自分の時間が無くなりピアノが弾けなくていらいらして。やっぱり弾く方が楽しくて、1年で退職してソロ活動に力を入れました。企業の冠コンサート、行政のイベント、出版記念パーティーなど、若い頃に機会をいただけたのは、とても勉強になったと思います。今は音楽大学と音楽高校で教えています。
―ピアニストはやはり、舞台で弾きたいのですね。
もちろんです。ひとりで弾くのも楽しいけど、人と分かち合うことができるともっと楽しい。アンサンブルはある程度自分を押さえなくてはいけないけど、ステージでは心強い。ソロは思う存分弾ける。そしてコンサートは、聴いてくれる人たちと曲をシェアする、緊張の中で話を進めていく感じがすごく好きです。何も大ホールでなくてもいい、小さな会場でも機会があれば演奏したいです。
―これからさらに取り組みたいことなどは?
何がしたいと大きく語ることはありませんが…今まで弾かなかった作曲家の曲や、今までにやっていない曲を弾きたいですね。この世にある曲は膨大で、一生で弾ける曲はごくわずかに過ぎない。それでもいろいろな国の音楽を知ったり、作曲家の心に触れたりするのは旅するのと同じで新鮮です。コンサートとは別に、自分の生活の中でそんな時間を取りたいと思っています。 (2015年9月1日取材)
肩肘張らずたおやかな坂本さんですが、実力に裏打ちされた静かな情熱を感じずにはおれませんでした。
とみさわ かよの
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞、平成25年度半どんの会及川記念芸術文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。