11月号
水木しげる生誕100周年記念 知られざる 水木しげる|vol.2
ボクが感動した『劇画ヒットラー』
小学4年生から水木マンガを読みはじめ、その後50年以上も読み続ける大きなきっかけとなったのが、『劇画ヒットラー』だった。
読んだのは高校2年生の夏休み。もともとナチスやヒットラー(ヒトラーという表記が一般的だが、ゴッホがゴホでなく、バッハがバハでないように、ドイツ人の発音に即せば、ヒトラーはヒットラーが適当)に興味があった私は、以前から大きな疑問を抱いていた。
ヒットラーに関する本が、軒並み彼を許しがたい極悪非道の狂人としてしか描いていなかったからだ。
ヒットラーが他国を侵略し、第二次世界大戦を引き起こして、多数のユダヤ人等を迫害・虐殺した事実はもちろん知っている。しかし、もともと合法的な手続きで政権の座に就き、一時期、ドイツ国民をあれほど熱狂させたのであれば、ヒットラーにも何らかの肯定されるべき要素があっただろうし、人間的な側面もあったはずだ。
ところが、それに触れた本はほぼ皆無で、あるのは非難、嫌悪、否定の一辺倒。これはこれで偏見だろうし、ヒットラーに関して肯定的な描写は許さないという暗黙の強制があるのなら、それは表現の自由を束縛するものではないか。
要するにヒットラーに関しては、人間性のカケラもない悪鬼のように描いておけば、どこからも文句は出ないという書き手の保身と不公平に、何かしら卑怯なものを感じていたのだ。
ところが、水木サンの『劇画ヒットラー』には、人間ヒットラーが描かれている。
たとえば、ヒットラーがチョビ髭に変える場面。もともと逆ヘの字のカイゼル髭だったのを、ナチ党に入る前に聴いた講演の演者がチョビ髭なのを見て、「カッコいいなあ……」とつぶやき、「おれの口ひげもあのように短くしよう」と決めたりする。
ナチ党の党首として頭角を現し、上流社会に出入りするようになると、柱を見て「あっ!!大理石だ」と驚いたり、会食では肉団子のようなものを口に入れ、「うわー、うめえ。こりゃなんて料理だろッ」と感激したりする。
私がもっとも感動したのは、画家を志してウィーンに出ながら、美術学校の入試に失敗して、落ち込んでいたヒットラーが、公園を散歩しながら、「この芸術的大天才が、いまやウィーンに埋没しようとしているではないか」と憤慨し、さらに落ちぶれて浮浪者収容所に入ったあと、同僚からもらったカフタンコートと山高帽を身に着け、「これで芸術的画家にみえらあ」「このスタイルこそ、オレのあこがれてたスタイルだ。イヒヒヒ、ざまあみやがれ」とうそぶいたりする場面だ。
高校2年生当時、私自身が小説家を志しながら、医学部も目指すという状況の中で、苦しい勉強を続けても思うように成績が伸びず、かたや優等生たちは楽々と合格圏内の成績を取ったりして、私は現実に対する不如意と不安に苛まれ、水木サンの描く若きヒットラーに大いに共鳴するものを感じていたのだ。
ほかにも、水木マンガのヒットラーは、機嫌のいいときには口笛を吹いたり、驚いたときには、「キャッ」と「鳥のような叫び」をあげたり、自決する前には、長年仕えてくれた秘書に礼を言いながら、「もっといいおくりものができないで残念だ」と、毒薬の小瓶を与えたりする。
私はその後もヒットラー関連の本や映画をたくさん見たが、水木サンの作品ほど、実際に生きていたヒットラーを感じさせてくれるものはなかった。それはひとえに偏りのない冷徹な目で描かれているからだろう。
「冴えてる一言」
~水木しげるマンガの深淵をのぞくと「生きること」がラクになる~
定価:1,980円(税込み)
光文社
PROFILE
久坂部 羊 (くさかべ よう)
1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部付属病院にて外科および麻酔科を研修。その後、大阪府立成人病センターで麻酔科、神戸掖済会病院で一般外科、在外公館で医務官として勤務。同人誌「VIKING」での活動を経て、『廃用身』(2003年)で作家デビュー。