9月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から76 草野心平つながり
あることに興味を持つと、それに関連する事柄が次々と目の前に現れて来ることがある。今回はその一例。
店先のプランターにわたしの親指ほどの雨蛙が一匹出現。こんな場所では生きにくいだろうと思い、隣の地蔵さんの境内にある花壇に移してやった。雨の夜には、鳴き声が天まで届けとばかりに響いている。そんな時、K君という高校生の詩を評することになった。その詩はまだ発表されていないので詳細は書かないが、タイトルが「蛙よ」である。オノマトペを活用して、胸の内を表現したユニークな作品。
彼が「蛙の詩人」として有名な草野心平を知っているかどうかは不明だが、自分なりの工夫をしていて、模倣とはいえず、感心して読んだ。
さらにその時に読んでいた本が、イラストレーターでもある文筆家、金井真紀さんの『酒場学校の日々』(皓星社刊)だった。
読み始めて知ったのだが、実は金井さん、草野心平の大フアンで、心平が昔経営していた飲み屋「火の車」からつながる店の経営にまで関わることになる。そんなてんまつが書かれているもの。ちょっと一部を紹介しましょう。というのも「火の車」はわたしが尊敬してやまない足立巻一先生にも関わってくるので少し寄り道。
足立先生の幼友達の詩人、米田透が元町本通りから少し小路を入った所で始めた飲み屋の名前が、心平の「火の車」に因んだ「貧乏神」だった。足立先生は反対したが、米田は心平のフアンだったのだろう、聞く耳を持たなかったという。
始めのうちは詩人の富田砕花や作家の白川渥など文学仲間が出入りし、「サンデー毎日」に取り上げられるなどにぎわう。しかし結果的には、足立先生が心配した通り、わずか七カ月ほどで廃業に追い込まれる。
で、心平の貧乏話である。心平の親友、詩人伊藤信吉との対談の様子。
草野 誰かがくれた鮭一匹が、たった一つの装飾だったな。柱にしばっておいて、片方からはさみで削って食べていたんだ。前を食い、裏返して後ろを食い、しっぽから骨、最後に頭と、全部食べた。歯は丈夫だったね。だから鮭の骨を食うなんてわけなかった。鮭の歯と俺の歯とどっちが硬い、なんて言いながら、何も残さずに全部食べてしまうわけだ。
伊藤 うん。鮭をはさみでちょんぎって食べていたのを見たことがあるもの。
草野 あのころは包丁もなかったんだもの。
(草野心平著『凸凹の道』より)
ちょっと高橋由一の「鮭」の絵を想起するが、今では考えられないおもしろい話ではないか。
因みに伊藤信吉さんからはわたし2001年にハガキを頂いている。しっかりした文字で書かれているが、その翌年の2002年にお亡くなりになったのだった。
もう一冊読んでいる本があった。
草野心平詩集『蛙のうた』(岩崎書店)である。
心平の代名詞のような蛙のオノマトペがたくさん出て来るのだが、読んでいて驚いたのはこの詩。
「サリム自伝」
平和のための戦争である。
戦争をするのは平和のためである。
人民あるいは人類のためにその平和のために人民を殺さなければならない。
人を殺すのはすべて平和のためであり人を殺すためではない。
(略)
大きなコウモリに化けてソンミの空をとんでいる。いまでも。
だれもおれに気がつかないようだが。
大きな黒いコウモリになって。
これはベトナム戦争時の「ソンミ村虐殺事件」を描いたもの。50年以上も昔の事件だが、今のロシアのウクライナ侵攻に重なっていて寒気を覚えるほどだ。
ところで、先の高校生の詩だが、最後はこう結ばれている。なんだか暗示的ではないか。
泣いたっていいんだ、おまえのことを見捨てない仲間が、深い井戸から助けてくれるはずだから。
今夜も地蔵さんの境内から雨蛙の声が聞こえてくる。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。