5月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~①出光佐三前編
「卑怯者になるな」 信念を貫いた
〝屈強な海賊〟出光佐三からのメッセージ
誰もが知る神戸ゆかりの偉人たち。日本の歴史に多大な功績を残し、偉業を成し遂げながらも、彼らが歴史に刻んだ足跡には、多くの人に知られていない逸話がまだまだある。そんな、これまであまり語り継がれてこなかった秘話を、「神戸っ子」の読者に紹介していく連載企画。 第一回は、小説や映画のモデルにもなった出光興産創業者の出光佐三を取り上げたい。
神戸大の恥と呼ばれた男の信念
映画「永遠の0(ゼロ)」や「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズなどで知られる山崎貴監督がメガホンを執り、俳優、岡田准一主演で2016年、映画化された、百田尚樹原作の「海賊とよばれた男」のモデルとして、近年、クローズアップされた出光佐三(1885~1981年)。
明治42(1909)年、現在の神戸大学経済学部を卒業した出光は、神戸市内の小さな商店に就職する。
当時の神戸大の卒業生の多くが、大手企業や銀行などに就職する中、なぜ、彼は従業員わずか3人の酒井商店を選んだのか。
当時、神戸大学の級友たちは、丁稚として働く道を選んだ彼に、「お前は神戸大の面汚しだ!」などと罵声を浴びせたという。
だが、彼には同商店を就職先に選んだ明確な理由があった。
出光の卒業論文のテーマは「筑豊炭及び若松港」。福岡県で生まれ、青春時代を過ごした出光は、故郷・福岡の筑豊炭田や海運業で栄えた若松について調べ、研究する中で、将来の日本経済にとって、石油は欠かせない重要なエネルギー資源となることを確信する。
当時、小さいながらも、石油を取り扱っていた酒井商店に出光は着目したのだった。
映画「海賊とよばれた男」のオープニングシーンは印象的だ。
昭和20(1945)年3月10日の東京大空襲の場面から映画は始まる。B29の大編隊による奇襲で、東京一帯が火の海と化す光景を、岡田准一演じる国岡商店創業者、国岡鐵造が成すすべもなく見つめている。この国岡鐵造のモデルが、出光佐三である。
米爆撃機B29迎撃のために基地で待機する日本の戦闘機の多くが、燃料がないために離陸できず、パイロットたちが悔しがる場面に、当時の出光の無念の思いが重なる。
「石油がないから日本は戦争に負けたのだ。これから日本の経済を立て直すためには石油が絶対に必要になる」。彼はこう決意を固め、石油会社を再建し、日本の復興のために尽力することを誓う。
酒井商店に就職し、石油販売の知識を学んだ出光は、2年後に独立。現在の北九州市門司に出光興産の前身となる出光商会を興す。
卒業論文に選んだ研究テーマ、「大学の面汚し」と蔑まれても就職先に選んだ小さな商店…。出光が将来を見据えながら、学生時代から綿密な計画を練り、人生を切り開いていったことが、彼が辿った経緯から理解できる。「面汚し」と呼んだ者には、彼が大学時代に思い描いていた日本の未来像を創造することなどできなかったのだろう。
彼はこんな言葉を残している。
「金や権力、組織の奴隷になるな。学歴や学問、主義の奴隷になるな。自立して国家と国民、人類の幸福のために尽くせ」
現代人にとっても響く痛烈なメッセージだ。
門司で出光商会を興した彼は、小舟で海へ繰り出し、「油もってきたけぇ!」と直接、漁船に横づけし、油を売りさばく。前掛け姿の丁稚を経て、海賊と呼ばれるようになる荒々しい若き日の国岡=出光を、映画の中で岡田が熱演する。
現代人へ遺したメッセージ
現在、世界規模で深刻化する新型コロナウイルスの問題は、第二次世界大戦以来、人類にとって最大の危機だといわれている。
敗戦後。日本の多くの企業では従業員を解雇して危機を乗り切ろうとした。
だが、このとき、出光は当時約一千人いた出光興産の従業員を一人も解雇しなかった。幹部たちから、会社を存続させるために人員整理が必要だという声が上がったが、それでも彼は頑なに拒み、信念を貫いた。
「安易に仲間をクビにして残った者だけが生き延びようとするのは卑怯者の選ぶ道だ。みんなで精一杯やって、それでも食っていけなくなったら、みんな一緒に乞食になろうじゃないか」
彼は休業させた従業員の家を一軒一軒、自ら周り、給料を手渡していたという。
コロナ問題の終息は見えず、日本経済は今後、増々深刻化するかもしれない。そんな予測できない不透明な時代だからこそ、敗戦を乗り越え、日本の復興のために尽くした出光の生き様を現代日本人は改めて見直すべきではないだろうか。出光は神戸大の面汚しではない。港町・神戸が誇る強い信念を持った〝屈強な海賊〟だった。
=後編へ続く。
戸津井康之