9月号
神戸鉄人伝 神戸の芸術・文化人編 第21回 陶芸家 小倉 健さん
剪画・文
とみさわかよの
陶芸家
小倉 健さん
陶芸家の故・小倉千尋氏を父に持ち、自身も陶芸家としての道を歩んだ、小倉健さん。明石の土を用い、釉薬(うわぐすり)の研究に40年を費やした小倉さんの作品は、ある時は海の輝きを、ある時は深山の静寂を、見る者に伝えます。伝統的な技法を踏襲しながら、現代的で独創的な作風は、長年多くのファンを、飽きることなく惹きつけています。創作の原点は「自然との対話」とおっしゃる小倉さんに、お話しをうかがいました。
―工芸の世界は下積み何十年と言われますが、お父上の小倉千尋さんのもとでの修行から、陶芸家人生が始まったのでしょうか。
父に、直接教えてもらったことはないんですよ。でも、子どもの頃から、土いじりや絵を描くことが好きで、父の工房に出入りしていましたから、父のかたわらで自然に陶芸の技術を覚えました。小学校の高学年からは、工房の掃除をさせられるようになり、また中学、高校と成長していくにつれ、手伝いも徐々に厳しくなりました。厳冬の氷のように冷たい土練りは、土の好きな私ですが、つらかったですね。ただ、父の苦労を見ていたので、将来は陶芸一筋で生活しようとは思わず、学校ではデザインを学び、企業に就職し、趣味で陶芸をしていました。
―大阪の大手家電メーカーのデザイン部に10年在籍され、そこで彫刻家の師に出会われたとか。
後に文化勲章を受章された富永直樹先生が、上司だったんです。立体造形の指導を仰ぎ、また芸術家として生きる上で、大いに影響を受けました。また工業デザイナーとして、たくさんの美術展を見に行く機会に恵まれたのも、ありがたかった。日展入選を機に陶芸に専念する決意をしたのですが、会社員生活の10年間は、今も私の表現の糧になっています。
―「表現」とは、何なのでしょうか。また表現には、何が必要となるのでしょう。
美しい花を見て、スケッチしたり、俳句を詠んだりしますね。あるいは、ふと心に湧いたイメージを描いたり、造形したりする。音楽なら、音で表現する。それは、自分の感じたことをかたちにしているわけです。自分の心を満たすものを見つけ、体を使って実践することが、表現です。表現するには、技(わざ)が必要です。イメージをかたちにしたくても、技術が無いとできませんからね。でも一番大切なのは、「美しい」と思う心、感性なんです。作家の心が豊かでなかったら、よいものは生み出せません。
―作り手には、技術だけでなく、感性が必要だと。
作品には、作家の感性が、端的に表れます。それは、造形的な美しさだけではありません。昔から、芸術は真・善・美と言われますよね。真実を見る眼、善い行いをする心が無いと、本当に美しいものは創れないのです。たとえば、いくら色やかたちがよくできた器でも、底の部分がザラザラのままでは、台座を傷つけてしまいます。使う人の身になってサンドペーパーで擦る、そんな思いやりの心は、やはり感性から生じるのです。作家は、絶えず感性を磨くことが求められる。感性を磨くためには、美術展を見たり、音楽を聴いたりといったことが必要です。自然の中で過ごして四季の変化を感じることも、心の豊かさにつながりますね。
―そうやって生み出された芸術を、鑑賞をすることも大切ですね。受け手の側にも、感性が備わっていないと、鑑賞できないのでは。
芸術を創造することは、人間の大切な営みのひとつですが、さまざまな芸術を鑑賞することも、創造と同じくらい大切な営みです。感性は誰にでも備わっていますよ。朝の柔らかい光を浴びて、小鳥のさえずりを聞けば、元気が出る。海に沈む夕陽を見れば、一日の疲れが癒される。木々が芽吹き、新緑に萌える様に、生命力を感じませんか?自然のエネルギーを感じとることができるのは、感性があるからです。芸術を鑑賞するのも、特別なことではありません。まずは見たり、聞いたり、触れたりして、さらに何かを感じとってもらえたら、作家としては幸いですね。
―自然との対話から、創作が始まると、よくおっしゃっています。
私は、土も、鉱物も、釉薬も、それを扱う人間も、すべて自然の一部だと思っています。空気や食べ物も自然が生産したものですし、電気などのエネルギーも自然の応用なわけで、自然界が失われたら、人間社会も崩壊します。自然と対話し、ともに生きることが、創作の原点です。ただしそれは、自然そのものを描写することを意味するわけではありません。私の作品「滝と小鳥」は、滝とそこに戯れる野鳥をかたちにしていますが、あくまで私の心象風景です。創作する時は、自然の模倣ではなく、難しいけれども細部にある「神の意思」とでも言うべきものを、表現していきたいと願っています。
―ご自身は陶芸家として、夢かなえた人生と言えますか?
陶芸作品は、実生活で直接目に入り、手で触れる機会が多いものです。たとえば、湯呑みには「湯を呑む」という物理的な用と、「ながめたり飾ったりして楽しむ」精神的な用がある。すばらしい作品は、それを使う人の感性を呼び起こし、心を豊かにします。陶芸家の使命はそこにあるのですが、私自身、自分の大作で「よい」と思えるものは、数点に過ぎません。創作は無から有を創り出していくことですから、作家の心に蓄えがあってこそ、人の心に響く作品が生まれるのです。創作に、終着駅は無いですね。陶芸家として、さらに感性を磨いて、魂のこもった作品を残していきたいと思っています。
(2011年8月12日取材)
小倉健陶芸展 予定
■大丸神戸店 美術画廊
2011年12月8日(木)~14日(水)
■神戸新聞ギャラリー
2012年10月25日(木)~30日(火)
とみさわ かよの
神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。