6月号
市民の手で西宮の魅力をプロモートしよう
西宮市長 今村岳司さん
大好きな西宮をもっと魅力的な街にしようと市民一人ひとりが頑張っている。
そんな西宮の未来像に向け始まった新しいチャレンジの先頭に立つ今村岳司市長。
斬新なアイデアと合理的な手法の根底にあるものは。
職員たちが目を輝かせて食い付いてきてくれる
―20代の若さで西宮市議になられた新人当時の思いは。
今村 地域のために何かやりたい、政治家の師匠がいないからこそ自分が理想とする政治ができる。そんな思いがありました。もちろん、失敗も遠回りもたくさんしました。
―市長になり、実現しようとしている理想の政治とは。
今村 簡潔で分かりやすい政治、数学で言えば、最も美しく方程式を解くというイメージです。西宮のために良いと分かっていても、「実現しないからやらない」ということが多いんです。曲がりくねった道を最短距離で行けば辿り着けるかも知れません。方法をシンプルにすれば遊びの部分が生まれ、クリエイティビティを発揮する余裕ができるはずです。
―抵抗もあるのでは。
今村 皆さんは、「若僧市長がとんでもないことばかり始めて職員に無視されている」と思っているのでは?ところが…以前は開かずの扉のようだった市長室を開放してホワイトボードを置き、職員たちと私でミーティングしているのですが、ストレートな道筋を少し示してみると、「そうか!」「やってみましょう!」と目を輝かせて食い付いてきてくれます。民間の人材を投入する都市もあるようですが、真似する必要など全くない。私は今の役所のメンバーでチャレンジしていけると信じています。
―常々話しておられる文教住宅都市を〝取り戻す〟という言葉の意図は。
今村 50年前、高度成長期に西宮市民は「教育の質が高く、住みやすいまち」を創ることを選び、当時の市長が文教住宅都市宣言をしました。取り戻すというのは決してその頃と同じことをやろうというものではありません。市民を取り巻く状況はどんどん変わっていますから「昔からこうやっています」は通用しません。今の西宮を愛する大人の手で、子育てや教育の環境を整え暮らしやすい街をつくり、子どもたちが大人になっても愛することができる西宮を残していく責任があります。文教住宅都市に敬意を表し、明日の西宮のためにやるべきことを考え直し、実行するべきときです。
―増える子どもの数に施設が追い付いていないという声もあるようですが…。
今村 都市の規模からして今の子どもの数は適正だと思っています。何故、「将来は少子化するから」という前提で消極的な政策をとるのでしょう?必要なのは「子育てするなら西宮」と言われるほどの街にしようという意気込み。あるいは、もし子どもが減っても転用できる施設を考えることです。でも私は、西宮は「将来も少子化しない街」になれる可能性を十分に秘めていると思っています。
被災経験で目覚めた政治家への志
―ご自身も地元出身で甲陽学院中・高卒業。優秀な少年だったのですね。
今村 いいえ!「友達が行くし、近いし、ボクも甲陽行く」と言ったら、「甲陽は賢い子が行くとこや」と親を始め誰にも相手にされず、行ってみたら確かに賢い子ばっかりで苦労しました。
―その頃から政治家になりたいと思っていたのですか。
今村 全く思っていませんでした。中学1年の時、近所のお兄ちゃんにもらった録音テープに衝撃を受けすっかりロック好きに。その後、ガンズ・アンド・ローゼズを聞き「カッコいい!このバンドに入る」とミュージシャンになると決めました。紫色に染めた髪を伸ばし音楽に明け暮れる毎日でした。
―それでも京大へ?
今村 進学するなら国公立、浪人は許さないという親の意向を受け受験。「もし合格したら大学生を隠れ蓑に8年間音楽やろう」と考えていましたから、プロへの道が開けることを期待して大学生活もバンド活動三昧でした。
―それが何故、大学を卒業してリクルートに就職することに?
今村 政治家になるためです。厳しい環境で仕事をして広い見識を身に付けたいと考えました。
―ミュージシャン志望が政治家を志すようになったきっかけは。
今村 阪神・淡路大震災での被災経験です。実家が全焼し避難所に居ると、被災者の苦境は当事者でない人たちには決して分かってもらえないという思いを何度も経験しました。そんな時、全国各地から支援に来てくれている警察、消防、そして自衛隊がきびきびと任務をこなす姿を目の当たりにしました。もちろん西宮市職員もいました。感動的でした。国や地域のために仕事をするってカッコいいなあ、でもギターしかできない自分には自衛隊は無理。できることは?以前から興味を持っていた政治をやろう。まず大学を卒業しないといかん。そして就職。
―その後、市議会選立候補に至った経緯は。
今村 30歳そこそこの若さで某市の市議をやっている人と知り合い、「どうやったら選挙に当選して政治ができるのか?」と聞くと「政策を書いたチラシを配る」と。私は「政治を変える」と口先だけで言っている自分が恥ずかしくて悔しくて、悩んだ末にリクルートを辞め、翌年立候補しました。チラシ配りをしましたが誰にも邪魔されることなく当選。それもそのはず、後から聞いた話では、突然出てきた若僧は誰にも全くマークされていなかったそうです。
スゴイぞ!西宮 もっとシビックプライドを持とう
―住みたい街に選ばれている西宮の魅力はどこにあるのでしょうか。
今村 西宮に住む人は「便利」「おしゃれ」などと魅力を言いながら、休日になると外へ出かけて行きます。いい所、美味しいもの、スゴイもの、西宮にたくさんあります。それに市民自身が気付いて享受し、プライドを持ってどんどん発信していけば、もっと外からの敬意も受けられるはずです。
―具体的にどんな方策を取っていますか。
今村 西宮市は基本的な市民サービスのレベルは比較的高く、この分野を堅実に進めていくのが仕事の9割です。残りの1割のチャレンジの部分で進めたいのがプロモートです。来た人の数ばかりにこだわる方法では意味がない。まず方法を科学的に設計すること。つまり「誰に、どこから来てほしいのか」「来た人に何をしてもらいたいのか」などのマーケティング。そして観光、環境、文化などの多分野での連携。そのために今、西宮のスゴさを一旦棚卸して、整理整頓しています。
―例えば、阪急西宮ガーデンズのような企業とも連携を?
今村 もちろんです。ガーデンズさんの運営は素晴らしいですね。私も一ユーザーとして、ガーデンズで全てが足りるというケースが多くなりましたからね。〝弊社〟も一緒にできることがあれば積極的に提案します。私の考えでは、運営が株主の資本か、税金かの違いだけで、会社も市役所も同じ。社会貢献という目的も同じ。ですから〝弊社〟も企業はもちろん、せっかくたくさんある名門私学、地道に活動している市民の皆さん等々のパワーと連携、協力して西宮市を盛り上げていくという発想を持つべきだと思っています。
―なるほど!ますます熱い西宮が見えてきました。期待しています。
今村 岳司(いまむら たけし)
1972年西宮生まれ。甲陽学院高校を卒業後、京都大学法学部に入学。大学卒業後、リクルートを経て、1999年市議選立候補。初当選(26歳最年少・トップ当選)。以来4回の選挙で3回のトップ当選。2014年に行われた西宮市長選挙にて初当選