2012年
6月号
生前の岡本久彦先生

触媒のうた 16

カテゴリ:文化人

―宮崎修二朗翁の話をもとに―

出石アカル
題字 ・ 六車明峰

宮翁さんが岡本先生を知ったのは、先ず神戸新聞社に届いた『出石郡人物誌』(昭和34年発行)という書物を通してだった。
翁は新聞社に届けられる無数の発行物のパンフレットまでもに目を通し、これは、というものに注意を払われる。その中にこの『出石郡人物誌』があったというわけ。なんにでも目を通しておられたのだ。今の記者さんはどうかな?
「それを読んでね、僕、驚きました。これを書いた人はなんと心のきれいな人なんだろうと。その抑制された文章を読んで思いました」
ということで、この『出石郡人物誌』をわたしは奥村氏にお借りして読んだ。古い本だがこれはお持ちだった。
なるほど、出石の歴史上の人物を、天日槍から書き始め、淡々と叙して行く書きぶりは自己宣伝のカケラもない清々しいものだ。それで何かの機会に翁は、田辺聖子さんを岡本先生に会わせたという次第。もちろん岡本先生まだ庵をお持ちではない時代である。「たしか“よしむら”という蕎麦屋さんにお連れしました」と。
話を戻そう。
この春、久彦先生の庵にご子息雅久氏をお訪ねした時、わたしは先ず確認したいことがあり、ズバリとお尋ねした。
「戦時中のお父様の軍隊での階級は?」
もしもここで「父は軍隊には行っていません」などと言われたら、この話は終わりである。宮翁さんの記憶違いということになり、わたしはこの原稿をどうまとめていいか分からなくなってしまう。翁の話では「たしか、中尉か大尉だったと思う」ということでした。
「父は少尉でした」
わたしは安堵した。多少の違いはあるが問題ない。しかし雅久氏、静かな話しぶりである。これは茶人としてのものなのだろうか。それとも父君の性格を引き継がれたのだろうか。
「今の京都芸大(戦前は京都市立絵画専門学校)からの学徒出陣だったと聞いています」と。京都芸大といえば130年の歴史を誇る美術系の学校。
それでわかった。うちの家内が出石高校在学中は美術の教諭だったと。
「あまり父と話すことはなかったです。いつも自分の研究ばかりしていましてねえエ」
わたしの好きな但馬弁だ。語尾を微妙に上げてなんとも言えない心安らぐ抑揚がある。
「家族旅行に連れて行ってもらったこともなかったです。子どもの頃は、この人なにする人だろう?と思ってました」と。
この答えを聞いて、わたし腑に落ちました。
宮翁さんの話はこうです。
―これはね、だれも知らない話です。僕しか知らない。
神戸新聞の同僚記者が東京に取材に行って帰って来て僕に聞いたんです。
「宮崎さん、出石の岡本久彦という人を知ってるか?」と。
「知るも知らんもない。僕が尊敬する人で、田辺聖子さんをお連れして会わせたことがある」
すると意外な話を彼はしました。
「東大の井上光貞教授がわたしに、『神戸から来たのなら、出石の岡本久彦という人を知らないか?』と言って話して下さったのですが、『僕はその岡本久彦さんに昔、軍隊で救われたんです』と」
岡本久彦先生は小隊長。そこへ招集配属されて来たのが井上光貞。井上は1917年生れ。岡本先生は1923年。井上の方が六歳年長である。岡本小隊長は、井上の経歴を見て驚いた。そして考えた。この人を死なせてはいけないと。で、井上に向かってこう言った。「こんなことは許されないことであり、また申しわけないことですが、わたしの従卒になってくれませんか?あなたを危険な目に遭わせるわけには行かないんです。まことに失礼なことだが、どうかわたしのそばにいて下さい」と。
ということで、井上は無事に戦後を迎えることになったのです。―
さて井上光貞だが、彼は明治の元勲井上馨の曾孫。昭和17年、東京帝国大学国史学科卒業後、『帝室制度史』の編纂に従事、昭和25年、東京大学教養部助教授、同文学部教授を歴任。昭和53年、同大名誉教授。
しかし井上の活躍はこれだけではない。岡本少尉が睨んだ通り、日本を代表する学者になり、1960年代に中央公論社から刊行されたシリーズ『日本の歴史』第一巻「神話から歴史へ」を担当し、歴史書としては空前の40万部を売り上げるベストセラーとなった。
こんな話を岡本先生は多分だれにも話してないだろうと宮翁さんは仰る。
わたし、ことの次第を雅久氏に話し、顔を見た。すると、やはり静かな口調で、
「そんな話は全く知りません」と。
やはり宮翁さんの想像通りだった。岡本先生はこの美談をご家族を含めだれにも話しておられなかったのだ。わたしなら自慢げに誰かれなく話すに違いない。宮翁さん仰るとおり、岡本先生という人は清らかな心の持ち主だったのだ。
ああ、生前にお会いしておきたかった。

生前の岡本久彦先生

出石アカル(いずし・あかる)

一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。喫茶店《輪》のマスター。

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