2019年
3月号
(実寸タテ19㎝ × ヨコ7㎝)

連載エッセイ/喫茶店の書斎から ㉞  ああ栄冠は

カテゴリ:文化・芸術・音楽, 文化人

今村 欣史
書 ・ 六車明峰

昨秋のことになる。「富田砕花展」を芦屋市立美術博物館へ見に行った時のことだ。
ウィークデイのことでもあり、観覧者はわたしのほかにはなく、館内はことのほか静かだった。
ゆったりとしたスペースに砕花師愛用の書斎机や椅子、その他書籍、生原稿、色紙、条幅などが展示されていて心豊かな時を過ごさせてもらった。
中に高校野球に関するコーナーがあった。高校野球ファンであった砕花師は、昭和10年に「全国中等野球大会行進曲」を作詞しておられ、その直筆幅も飾られていた。
ところがそのコーナーには、昭和24年に新たに制定された「全国高等学校野球大会歌」についての資料も展示されていた。今も夏の大会で流れる、小関裕而作曲の、胸躍る思いがするあの歌である。

雲は湧き 光あふれて
天高く 純白の球今日も飛ぶ

その歌についての資料展示が結構なスペースを占めている。わたしは、「なぜ?」と思った。たしかその歌は砕花師の作詞ではなかったはず。富田砕花展にはそぐわないのでは?資料にも、作詞者加賀大介となっている。もしかしたら加賀大介は、何かの事情で砕花師のこの時だけのペンネームか?と思ったりした。いやいや、そんなわけはない。いただいた展示品リストを調べると、選者とあった。この大会歌の詞は公募されて、全国から五二五二篇もの応募があり、加賀大介という人の作品が採用されたのだ。しかし選者だからといって、これほどの展示スペースを取るのもおかしいなと思った。そこでわたしは、この歌のことを詳しく知りたくなり、帰宅してネットで調べてみた。すると思わぬことが分かった。
元々作詞者として発表されたのは加賀大介ではなく、後に彼の妻となる高橋道子だったのだ。
これについては『ああ栄冠は君に輝く』(手束仁著・双葉社・二〇一五年)という本が出ているのを知り、わたしはすぐさま入手した。そして一気に読み終えて、深いため息をついた。毎年の高校野球大会でテレビから流れるあの行進曲が急に愛おしいものに思えてきたのだ。

作詞者加賀は、若き日、大好きな野球をしていて足を怪我し、それがもとで片足を失う。その後、自分の将来を文学に求め、やがて地域では指導者的立場になる。しかし、中央で活躍できるような文学者を目指すも思い通りに行かない。そんな時に、高校野球大会歌の公募を知り、〆切前日に完成し応募する。自分の名前ではなく、婚約者であった道子の名前を使い加賀道子(本名高橋道子)として。その理由は、「ぼくは文学者だ。文学の道を究めて芥川賞を獲るんだから、新聞社の賞金の高い応募作に、加賀大介の名前は使いたくないんだ」というわけである。
この秘密は、その後20年間も明かされずに過ぎる。明かされたのは全国高等学校野球選手権大会が第50回の記念大会を控えた昭和43年2月のこと。朝日新聞記者が、「『栄冠は君に輝く』が発表されてから丁度20年になりますのでお話を」と取材を申し入れたのがきっかけ。道子は悩みに悩むが、もう秘密を持ち続けることに耐え切れず、その記者に真実を話し、二月二十二日の朝日新聞にこの事実が掲載される。

《「作詞者は夫でした」
加賀さん20年ぶりに真相語る》
この50回記念大会に加賀大介は招待されるが出席していない。そしてその後も甲子園に行くことは一生なかったという。このあたりの感動的な話は、著書『栄冠は君に輝く』をお読み頂きたい。

ところで、富田砕花展である。わたしはもう一度、芦屋美術博物館へ行って、あの展示を見なければならないと思った。
その日も観覧者は少なく、わたしのほかには赤いベレー帽をかぶった女子大生らしき女性が一人だけだった。
わたしはすぐさま高校野球のコーナーへ行き、資料を書き写していた。やがてそこへ先ほどの女性が回ってきた。わたしは一旦鉛筆を置き、場所を譲った。そしてお節介かも知れなかったが、高校野球ファンだという彼女に「この歌のエピソード知ってる?」と訊ねてみた。すると、知らないと言う。で、あの感動的な話をしてあげると、「楽しい話をありがとうございました。今後はこの歌をこれまでと違った思いで聴くことになります」と喜んでくれた。
わたしが書き写していたのは、加賀大介による歌詞が書かれた朝日新聞社の原稿用紙二枚。緑色の罫線の色褪せたものである。それに砕花師が赤鉛筆で補作しておられるのだ。わたしには、特に二番の補作が印象的だった。その一部。加賀大介の元詞は、
《青春のほのほをかざせ ああ 栄冠は君に輝く》だが、砕花師の補作はこうだ。
《青春の賛歌を綴れ ああ 栄冠は君に輝く》
ほかの何ヶ所かの補作と合わせ、見違えるように歯切れよく、そして格調高くなっている。流石です。

(実寸タテ19㎝ × ヨコ7㎝)

■六車明峰(むぐるま・めいほう)

一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。

■今村欣史(いまむら・きんじ)

一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)ほか。

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