9月号
[海船港(ウミ フネ ミナト)]ライン河クルーズを終え 改めて瀬戸内海を考える⑨
文・写真 上川庄二郎
【ライン河流域を凌駕する瀬戸内海】
1823年にオランダ商館付医師として長崎・出島に赴任し、6年余り日本に滞在したドイツ人のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトがいる。彼は、江戸に参内する時には、必ず通った瀬戸内海の多様な風景を賛美し、この内海をInland Seaと呼んだ。これが今日の瀬戸内海の語源になったといわれている。「(シーボルトは、)備讃瀬戸の塩飽諸島に船でさしかかって、島々のシークエンス景(動的景)、色彩あふれる田園景、集落などの生活景、城郭などの人文景、さまざまな形の山岳景」(西田正憲著 「瀬戸内海の発見」1999年)を多彩に表現して、「船が向きをかえるたびに魅するように美しい島々の眺めがあらわれ、島や岩島の間に見えかくれする本州と四国の海岸の景色は驚くばかりで…。ある時は緑の畑と黄金色の花咲くアブラナ畑の低い陸に農家や漁村が活気を与え、ある時は切り立った岩壁に滝がかかり、また常緑の森のかなたに大名の城の天守閣がそびえ、その地方を飾る無数の神社仏閣が見える。遥か彼方には、南と北に山が天界との境を描いている」(シーボルト、斎藤 信訳 「江戸参府紀行」 1967年)と自然景観から生活景観、人文景観まで、しかもこれらを遠景、中景、近景として多様に記述している。
【神戸を瀬戸内海を絶賛したリヒト・ホーフェン】
神戸開港の頃に日本を訪れたもう一人のドイツの地理学者でありシルクロードの命名者でもあるリヒト・ホーフェンの日記から引用してみよう。(齊木崇人神戸芸術工科大学長が神戸新聞に連載された「蒼海聚景」からも参照させていただいた)
リヒト・ホーフェンは、その日記に開港間もない神戸について、「神戸は美しい位置にある。山々は、崖や狭い峡谷や瀑布等があって、ロマン的な景色に富んでいるように思われる。すべての山が高いところまで繁り被われている。したたるばかりの緑と樹木の群れと寺院と散在した村落が変化を与え、そして一緒になって実に好ましい景色をつくっている」(リヒト・ホーフェン著「支那旅行日記」1907年、海老原正雄訳・1943年)と記している。
このように評価の高い神戸港を起点に瀬戸内海クルーズを考えることは、ロマン溢れる瀬戸内旅情を掻き立てるに相応しい真の出発点なのではなかろうか。
そして、彼は、神戸から瀬戸内海に向けて出発し、「内海の航行は素敵である。景色は絶え間なく変化し、深く分岐した入り江や突端や岬や、無数の島々が現われる。すべてが山また山で多種多様な形をしている」と細やかに観察しているのに驚く。
また「わずかばかりでも平地があるところ、特に峡谷の出口のところには、きまって村落があり、しばしば多くの家や樹木、寺院等が見られ、米田よりもたまねぎ畑が多い」(同)と、瀬戸内に暮らす人々の営みにもよく目が行き届いていて流石である。
鞆の浦については、「町は小ざっぱりとよく造られ、これまで見た他の小都会よりも遥かにすぐれている」(同)、とその美しさを褒め称えている。
これは、今回私たちが訪れた小さな村落であるリックビールやバートヴィンプフェンも確かにそうだった。リバー・クルーズ船だからこそ訪ねられる秘境の町といってもいいだろう。
しかし、私のライン河クルーズの印象には、瀬戸内海ほどの感動を覚えるところはついぞなかったように思う。古城渓谷と呼ばれる区間(リューデスハイムーコブレンツ間)以外は、平坦な平野部を流れる土色の大河としてしか印象に残っていない。紺青の水面を航行するクルーズこそ、その醍醐味が実感できるというものである。
【近代ツーリズムの創始者・トーマス・クックも】
明治5年(1872)、世界一周旅行で自ら添乗して日本を訪れたトーマス・クックは、瀬戸内海を通過して、「私はイングランド、スコットランド、アイルランド、スイス、イタリアの湖という湖のほとんど全てを訪ねているが、瀬戸内海はそれらのどれよりも素晴らしく、それら全部の最もよいところだけをとって集めて一つにしたほど美しい」(ピアーズ・ブレンドン、石井昭夫訳 「トマス・クック物語」 1995年)と、旅行業者としての目から見た印象を述べている。
日本では、瀬戸内海を〝日本のエーゲ海〟などと呼んでいるが、これはとんでもない間違いで、瀬戸内海は、瀬戸(川)と灘(湖)が連なってできた狭隘な水路であり、その複雑な入り組みが絶妙な風景を造り出している。これは、エーゲ海と瀬戸内海を同じ縮尺の地図に置き換えて比べてみればすぐに納得がゆくはずである。私も、エーゲ海をクルーズで訪れたが、瀬戸内海のような多島美を誇る海でも何でもない海だったことを敢えて記しておこう。
【本当に瀬戸内海クルーズは、魅力がないのか?】
ところが、現在の日本のクルーズ業界には、2万トン級以上の大型客船しかなく、瀬戸内海を単なる水路として通過しているだけである。しかもこのように大きな船では、シーボルトやリヒト・ホーフェンらが体験したような細かな水路を航行することは到底できない。あたら瀬戸内海の持つ魅力豊富な場所は見向きもされず放置されているのが現状である。
このような日本のクルーズ業界の現状では、到底、瀬戸内海の本当の良さを体験できるクルーズは実現できそうにない。そんなことから残念ながら、多くの日本人は、アピールの上手なヨーロッパのリバー・クルーズに引き付けられてしまうのだといわざるを得ない。
ところが、ごく最近の話であるが、興味深いことを二つばかりご紹介しておこう。
一つは、アメリカのCruise West社という船会社が4200tの小型客船を神戸港に配備し、瀬戸内海をメインにしたアメリカ人専用のFly & Cruiseを始めたことである。2008年には9回、2009年には10回も来航するという大変な力の入れようである。
この船会社のパンフレットを見るとなかなかのもの。「目を見張るように美しい瀬戸内海。歴史遺産が豊富でゆったりとしたクルーズの楽しめる内海」と絶賛し、「ここを、Spirit of Oceanusの居心地の良いキャビンやラウンジでゆっくり寛ぎながら、日本の素晴らしい景観に魅入ってください」。そして、「寄港地では、静かにたたずむお寺や庭園を鑑賞しながら茶の湯を嗜み、お城や城下町などを見学してください。宮島では、伝統的な雅楽の装束に目を奪われるなど、きっと、好奇心を煽るような日本文化の数々に接することができるでしょう」、「日本は、西欧の国々とは異なった歴史・文化を持つ美しい国です。寿司を始め日本食や日本酒も嗜んでみてください」、とまるでシーボルトやリヒト・ホーフェンの言っていることとそっくりではないか。加えて、「Spirit of Oceanusは、瀬戸内海のような入り組んだ島々を巡るのに最適の船なのです。この小船で日本を発見するのが、日本を体験する最も良い手段です」、と小船の優位性を説き、「本船には、日本語と日本文化の分かる博識のリーダーが、皆さんの仲間としていつも皆さんの身近にいます」等々と述べている。心憎いばかりの売込みである。瀬戸内海は、まだまだ捨てたものではない。
もう一つは、アメリカズ・カップで二度の優勝記録を持つ、ニュージランドのプロセラー、ラッセル・クーツ氏である。ビジット・ジャパン・キャンペーン事業の一環として招かれ、瀬戸内海をヨットで二週間わたりクルージングした。この記録は、海外向けDVDとして、国土交通省から海外に配布されている。
その航海を終えた彼は、「かつて経験したことのない海、世界中のどこにもない稀有な瀬戸内海の尽きることのない魅力の一部に私は触れることができた。また必ず、いつの日にか、この海に戻ってこよう。その時まで、さようなら、瀬戸内海」(ラッセル・クーツが見た紀州・瀬戸内海の旅編集委員会、「ラッセル・クーツが見た紀州・瀬戸内海」2004年)と言葉を残して帰国した。
最後に、「広い区域にわたるこれほど優美な景色は世界のどこにもないだろう。この地方は世界で最も魅力のある場所のひとつとして、沢山の人を引き寄せるであろう。…かくも長い間保たれてきたこの状態が、今後も長く続かんことを私は祈る」(リヒト・ホーフェン著「支那旅行日記」1907年、海老原正雄訳・1943年)と絶賛していたリヒト・ホーフェンの言葉をかみ締めてみよう。
ライン河の景観もよく知っているはずの彼の言葉であるだけに、「リヒト・ホーフェンの囁きを再現させたい」、と熱い想いで結んでおられる齊木崇人学長の言葉に心打たれる思いである。
【瀬戸内海ウイークリー・クルーズへの期待】
瀬戸内海をこよなく愛した岡山県邑久町出身の写真家・緑川洋一氏を紹介し、瀬戸内海クルーズのウイークリー運航が実現する日のくるのを祈って結びとしよう。
「諸外国を回って、あなたが今現在一番感じるのはどんなことですか?」
緑川:「北欧には感動したね。しかし、日本の国ほどこまやかな自然の移り変わりがなくて、非常に大味な風景ですよ。こんなデリカシーがあるのは、日本だけでしょうね。この自然のこまやかな変化のある日本に生れたからこそ、今のような風景写真家になったのかもしれないね」(写真集「わが瀬戸内賛歌」対談から)
瀬戸内海クルーズを声高に言い続けて10年の歳月が経ちました。やっと少しは認知され始めたのでしょうか。
瀬戸内沿岸都市、クルーズ関連業界のコラボレーションで、瀬戸内海ウイークリー・クルーズが実現される日の近いことを願い、本稿を以って「海 船 港」の連載をひとまず終えさせていただきます。2003年8月号から足掛け10年間、延べ108回に亘って連載してきました。ご愛読くださった方々、そして今回まで快く連載を続けてくださった「月刊神戸っ子」に厚くお礼申し上げます。
これからは、不定期に折あるごとに書かせていただくことにしたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
(2012年9月号)