7月号
浮世絵にみる神戸ゆかりの源平合戦 第19回 ― 義経登場 ―
中右 瑛
[女人哀史]世を捨てた祇王祇女と無常を悟った仏御前
世に、権力争いは多い。嵩じて合戦にまで発展することがある。源平合戦がまさにそうである。血生臭い男の闘いの陰で泣くのはいつも女たちである。悲哀のエピソードは華やいだ大輪もあれば、無惨にも舞い散る一輪の花もあり、儚い美しさに心打たれる人も多いことであろう。女人の宿命ともいうべきであろうか。
清盛をめぐる女人たちの生きざまも、ドラマチックで一様ではない。そこには世を捨てた源平女人哀史が秘められている。
*
京の白拍子だった祇王は、その美貌と芸で清盛を魅了し、妹の祇女とともにその余慶にあずかる。
清盛の祇王に対する寵愛ぶりは、周囲の者も羨むほどのものであった。
三年過ぎたある日、加賀の国出身の十六歳の白拍子・仏が清盛邸に芸を売り込むために推参、「呼びもせぬのに…」と清盛は追い返すが、祇王の取りなしで館に入れる。仏の歌、舞いは見事であった。それに仏の可憐な美しさに清盛は心を奪われた。仏の出現は清盛の心変わりとなり、祇王祇女は無常にも邪険にされた。
祇王自身の取りなしが仇(あだ)となったのである。それだけではない。仏へのもてなしも強要され、屈辱の日々を過ごした。
祇王は仏を恨み、悲しみのあまり世を捨て、祇女、母とぢとともに髪をおろして尼になり、嵯峨野に籠もった。祇王は二十一歳、祇女は十九歳、母は四十五歳であったという。
祇王祇女、母の三人が都を離れ、嵯峨野の草庵に籠もり、ひそりと暮らし始めたその年の秋、草庵に一人の尼が訪ねてきた。それは仏だった。
仏は罪の意識にさいなまれ、祇王の身がいつか我が身ともなろうと、憂き世の無常を悟り、尼になったという。
祇王の心は安らいだ。四人は旧怨を忘れ感涙にむせぶのであった。
世のうつろい、人の心変わりのはかなさ、世の無常を感じずにはいられない。
中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。