9月号
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 神戸の芸術・文化人編 第44回
剪画・文
とみさわかよの
写真家
米田 定蔵さん
印画紙にモノトーンで焼き付けられた昭和38年の三宮駅―駅前には通称「ジャン市」、彼方には工事中のポートタワーが。昭和時代の賑わう港、市電の走る市街地、神戸まつりの花電車。開港時から昭和初期に建設された建築。そして阪神・淡路大震災で倒壊したビル街…。神戸のまちを撮影して50年、あらゆるシーンをよくぞここまでというほど撮り続けておられる米田定蔵さん。ご本人は「僕は商業写真家、美術家じゃないから」とおっしゃいますが、その写真は正確な記録でありながらも、建物であれ船であれ最も「美しい」瞬間を見事に切り取っています。今もバイクで神戸を駆け回る米田さんに、お話をうかがいました。
―写真に関わるようになったのは、何かきっかけが?
兄の手伝いが最初でした。7歳年上の兄は、地元・赤穂の高校卒業後に東京の写真専門学校に進みました。学徒動員で写真技術が役立ち、徴兵を免除された兄は、終戦後に赤穂へ戻ってくることができ、写真館を始めました。そこへよく近所の東洋紡錘の女工さんたちが、故郷へ送る写真を撮りに来ましてね。盆と正月はとても忙しくて、僕が手伝うようになったんです。
―その後神戸へ出ていらっしゃることになったのは?
僕も兄も新しいことにチャレンジする性分でして、フィルムを調達して16ミリ映画をこさえたんです。映像と録音が別々の時代ですから、録音はラジオ屋に頼みました。おかげてラジオやオーディオには詳しくなりましたよ。そしたら毎日新聞に「映画製作スタッフ」と紹介されましてねえ、電通から仕事が来て、都市部へ出ることにしました。神戸華道クラブが下山手に制作スペースを用意してくれまして、ここを拠点に仕事を始めました。昭和28年、ちょうどテレビがCFを必要としていた頃のことです。
―時代は高度成長期に突入しますから、仕事が増えて忙しかったのでは。
それはもう…神戸では三菱重工の「重工ニュース」に関わり、進水式はもちろんのこと、ロケット胴体の製作も記録しました。三菱重工に在席したことがある糸川英夫教授(東京大学生産技術研究所)が、ロケット開発記録映画の総監督でした。「人工衛星打ち上げ用ロケットの先端部分が正確に開いているか?それがわかる写真を撮れ」とか、当時の技術では不可能に近い注文もありましたが、アナログ技術を結集し創意工夫で撮りました。
―三菱重工の記録というと、神戸の造船業の記録でもありますね。
面白いものでは、タンカーの船体を長くする「ジャンボイジング(増トン)」という方法を紹介するカラーフィルムなども撮りました。タンカーが神戸港の関門を入って来るところから、ドックで船体の中央部を切断し新しい船体を増設する工事の記録です。でも当時の16ミリ撮影機はゼンマイを巻き上げて撮るもので、20秒ずつしか撮影できません。ズームレンズも高額なのにピントは甘い。リバーサルフィルムも高価で、現像処理の日時を確保するのに気を揉む。今なら簡単なことでも、あの頃は大変な苦労をして撮ったものです。
―船や港、近代建築の並ぶまちを走る市電の写真などは、今となっては貴重なものです。
港へ通い続けたのは、三菱重工の仕事の縁ですね。突堤やメリケン波止場、外国船などたくさんの写真があります。市電や建物は、なくならないうちに残しておきたいと思って撮っておいたんです。冬場に街路樹が葉を落として、建物がよく見える時をねらって撮影しました。後に記録として、いろいろ役に立ちました。
―そうやって撮り続けた神戸が、阪神・淡路大震災で崩壊します。
あの日の朝、カメラを持って長田の家を飛び出しました。あちこちを撮ってきたものの、断水状態でしばらくは川へ水を汲みに行って現像していたんですよ。被災光景と後の定点撮影は、「都市の記憶 神戸・あの震災」(㈱エピック)にまとめました。この中で「記録しておこう、というのは名分で、私を支えてくれているこのまちの記憶を、たとえそれが残骸になっていても、とどめておきたい衝動であったのかもしれません」と述べましたが、記録性で写真に勝るものはありません。「とにかく撮っておこう」という気持ちでしたね。
―さて、最近はちょっと変わった方法で撮影されていますが…。
ここのところ凝っているのが針穴写真です。これほどにまでデジタル技術が進むと、かえってアナログが恋しくなる。露出の計算などはきちんとしていますが、針穴写真はボケの味こそが魅力なんです。まちなか彫刻やおまつり風景など、針穴写真にふさわしい場面を見つけては撮影しています。レンズでこしらえたのとはまた違う映像が面白くて、ひと味違う神戸風景が楽しめますよ。
―これからも神戸を撮り続けてください。また「神戸の記録」を拝見したいです。
今手掛けているのが全作品のデジタル化。撮り続けてきた写真や8ミリの整理をしています。えらい昔の、自分でも忘れていたようなフィルムが出てきてびっくりしますよ。まだ発表していない写真もたくさんあります。できればどこかで、発表の機会を持ちたいですね。
(2013年6月27日取材)
とみさわ かよの
神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。